《雑草(コラム) 》
政局でなく国民本位の政治を国民の側が意識高め
自民党新総裁、公明党の連立離脱と、国政の話題に関心が集まっている。
「自民党はどうなるの…?」とたまに聞かれるが、この混沌とした中で、地方に住んでいる私たちには中央のことはわかりづらい。
ただ、前々回のこの欄で、特に政治と金の問題が、ここ最近の選挙にも影響を与えている…と書いたが、政局にまで飛び火した。
物価高に苦しんでいる国民、特に今の世相から将来に不安を感じている若い世代は、政治のきな臭さも含め少し敏感になっているのだろう。
今に言う持続可能な社会、継続性が求められているのに、1年で総裁選挙をという。選挙結果の責任を…というが、総裁の責任というよりも党そのもの、体質に問題があると感じている人も多かったとは思うが、このタイミングで総裁選が行われ、大方の予想に反して新総裁が選ばれた。
これはある面では、国民に寄り添っていないということなのか、マスコミでは、次の連立がどうなると盛んに伝えていて、それも大きな関心事だが、ここ最近の選挙結果も含め、政権が国民に寄り添ってなかった結果とも言えるのかと思う。
参院選が終わり、8月のコラムでは、これからは本格的な多党制の時代に入っていくのだろうか、有権者に対して何をしたい政党なのかをいくつか鮮明にし、その共通な部分で政策的にくっついたり離れたりする…などを書いた。
今後、どんな政治が行われていくのか、新総理がどうなるのか、この段階では分かりづらいところがあるが、どちらにせよ少数与党、自公も崩れ、個々の政策でどう協力し合っていくのか、国会が開かれるたびに、その論争の中、その結果次第で、いわば政党の通信簿のように、私たちの目の前に晒されることになるのだろう。
国民にとってもチャンスなとき
国民にとっては、とてもチャンスだと思う。
これまで分かりにくかった政治が、選挙のたびに、各政党の取り組み、党内の権力闘争とかでなく、国民のほうに目が向いた施策が行われているか否かをチェックする機会を得ることになる。
その判断材料が、党首討論等、国会の論争の中で示される。
昨年だったか、電話がかかってきていろいろ話をする中で、今、テレビ番組の中で一番面白くないのが国会討論だ…と言われた。
ある意味、形骸化している…そう感じるが、今後は、国民の側からしてもそういうことは言ってられない。
今、一番身近なはずの首長の選挙でも50%前後、最近どこだったか3
%台の首長選もあったようだが、それは若い世代が政治、選挙に関心が薄れているのに加え、年配層が政治に魅力を感じてないということか。
今の政治シーンは、若い世代、国民の側にもっと関心を持って!というメッセージと捉えてみて、この政治の現実を見た上で選挙にも行って
、自分たちの将来のためにも政治に参加していくことが求められているのか。
それには、行き過ぎた多党制はよくないのだろうが、この多様性の時代、いろんな考え方や政策をもった政党が生まれ、これから政治がガラガラポンの時代を経てまた、安定した政治を迎えることになる。その過渡期ではないか…。
政治や選挙のことを聞かれたときには、そう答えている。
より身近に政治が感じられる社会のために政策本位で選挙にも関心を
既成政党が軒並み票を減らしている昨今、裏腹に今後さらに国民の側が試されるときとなるのか。
フェイクニュースは嫌だが、特にネットで政治や選挙の話題も流れるようになって大きな影響を与えるようになっている。
戦後の混沌とした時代、昭和40年前後か、選挙の投票率が80%台だったのを覚えている。
今、社会も政治も混沌としているときでもあり、国民により身近な政治をしているところはどこなのか、誰なのか、関心を持ってぜひ若い世代もどんどん選挙に行って欲しいと願う。
政治もそこにちゃんと答え前に進め、より身近に政治が感じられる社会になって欲しい。(米永20251013)















































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