2024年09月11日 13時29分

《雑草 》

戦争を廃止、最小限に制限、惨禍を最小限にとどめること

 ここ数回、書きたいと思ってきたことは、今、日本を取り巻く安全保障について厳しい状況にあることを感じている中で、国の立ち位置がどうなのか、この国を守る自衛隊、そして国民の存在、その関り方を考えてきた。

 この国の転換期という中で、国と自衛隊と国民とそれぞれの立場と役割があり、今だからこそ、そこをしっかり各々で認識し、基地のあるまちに生まれ、住み続けている私たち、また国民がどういう面持ちで、この時代に向き合わなければならないのかを考えている。

 安全保障面で国が動き、あってはならないことだと思うが、仮に日本が戦争に巻き込まれ、国権が発動された場合、自衛隊の役割、そして国民の役割がそれぞれある。

 その中でも、戦争状態になったとき、国民の立場としては出来ることは限られているが、平時での行動や、戦争が起ころうとする時は、また違った考えを持って世論として訴えるべきことがあると思う。

権力ある側と、国民の立場からと…

 今現在、この段階で「私たちが何もしなくても、侵略しようとする国はある」と煽り、声高に勇ましい発言をテレビ討論番組等で聞いたりする。
 どのような権限を持って、どの立場で叫んでおられるのか分からないが、それが国や政治家、権力ある側からの発言でなく、繰り返して言っていることだが、戦争が起こると抵抗できない国民の側としては、戦争が起こらないように発信していくという立場にあるべきだと考えるし、それが勇気ある姿だと思う。

 これまで多くの戦争があり、その歴史を学んできて、国を守るということと、国民を守ることとは違うということをもっと認識すべきだと感じている。

日本も軍事大国になった?

 タイムリーに今、NHK朝ドラで、原爆投下に対する損害賠償という民事裁判の中ではあるが、「戦争を廃止、もしくは最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは、人類共通の希望である。不幸にして戦争が発生した場合、被害を少なくし、国民を保護する必要があることは言うまでもない。国家は、自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである」という一文が朗読された。

 国は、戦争に対しての責任を取ることもありえるが、そうした責任もとれない、抵抗できない国民の側の発言としては、自分も弱者の側にいて、その人の周りも含め犠牲になる側の一員であるということを自覚しない、ある意味無責任で小胆な発言だと思う。

 実際、有事で戦争に立ち向かう自衛隊の存在、平時では抑止力としての大きな力となっているが、そこを180度転換させるような発言でもある。
 彼らにも同じように家族がある。

 私の周りにも、「日本も原爆を持てばいい」という発言をする人もいるが、心がざわつく。

 ここ数年の安保関連法案等により、テレビでのコメンテーターらが、日本も軍事大国になったという発言も耳にするようになった。
 そういう時だからこそ、日ごろから国民としての立場からの議論をしていく必要があると強く思う。(米永20240911)

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