2024年05月31日 07時03分

《雑草 》

おどろおどろしい、目の前にある大きな現実の一コマ

 この欄で何度か書いていることだが、いま、この国のかたちを大きく変えるようなことを閣議決定という手法で決めていくことは、民主主義的な観点からも大きな問題があると思うが、まさにショックドクトリンを地で行っている政府のやり方ではないかと思ったりする。

 くどいようだが、ショックドクトリンとは、例えばコロナ禍や現実に起こっている戦争、自然災害、政変という大きな惨事や危機の中、平常時には不可能と思われることに対して、国民が動揺しているその間隙を縫って、十分な情報を伝えることなく、大胆な市場原理主義的改革等を断行していくことと言われてきた。

 市場原理主義を唱える米国の経済学者ミルトン・フリードマンが「真の変革は、危機的状況によってのみ可能となる」など提唱。
 例えば公共部門の民営化、福祉・医療・教育などの社会的支出の削減が断行されるその裏では、政策決定する政府とグローバル企業等の間の見えない「回転ドア」があって、民間企業幹部と政府中枢とが回転ドアを通じお互い行き来しあい、自分たちに都合のよい政策を法制化し、その富や財が偏って共有されていく。

 カナダのジャーナリストで作家、活動家のナオミ・クラインは、これらをショック・ドクトリンと呼び、先進諸国が途上国から富を収奪することを正当化する最も危険な思想だと指摘した。

 それらは、政府やグローバル企業による経済的なものだけでなく、その後世界中で応用され続け、本来様々なプロセスを経て決定されるべき大事なことが、民主的手法を飛び越えて決められているという何かおどろおどろしい、目の前にある大きな現実の一コマなのだろう。

底辺に蠢(うごめ)いている何かしら

 この国のかたちが大きく様変わりしていくことに国民がほとんど関わることなく決められていく危うさがあり、しかも、関わる関わらないということでもなく、そうした変化の在り方に不知な人も多いのか。

 今国内でも、政府与党や内閣支持率が低下しているのは、ほぼ毎日報道されている政治資金規正法問題があり、それが大きな影響を与えている…とも感じられるが、そうした表面的なことに加え、底辺に蠢(うごめ)いている何かしらを感じ、それがこれら現実に対しての否定の感情が生まれてきているからなのかもしれない。

 「ショック・ドクトリン」の最初の応用例は、1973年の軍事クーデターによるピノチェト政権下のチリでの例とされるいるが、当初は見えないはずだったシステムが、半世紀ほど経ち、はっきり見えないにしても、私たちの生活の中に少しずつ顕在化してきているのだろうか。

私たちの生活に直結するような法律がかなり改廃され

 ややもすると迷走しそうな書き方になっているが、少し角度を変え、ここずっと書いている安保問題、例えば安保三文書などについて、調べようと思えば、公表されている情報も多く、それらをたどっていけば概要はつかめる。

 そして以前この欄で書いてきた種子法廃止や種苗法改正。ゲノム編集や遺伝子組み換え食品、食品表示基準など。

 現実に私たちの生活に直結するような法律がかなり改廃されてきていることにもっと目を向けるべきなのだろう。

 これらがショックドクトリン的なものだとは言えないのだろうが、外圧によるもの、もっと以前では、大店法の緩和と廃止、建築基準法の改正や半世紀ぶりの商法大改正、公正取引委員会の規制強化、弁護士業の自由化や様々な司法改革も、米国による日本への年次改革要望書により実現されてきた…とも指摘されてきた。

これまでとはまた違った意識を持たないとならないのか

 そういう時期を経て、良いも悪いも、日本という国の形が大きく変化してきた。それはこれまで経済的な内容が多く、私たちの生活もある意味様変わりしてきたのを感じている。

 しかし昨今、安保や地方自治法改正など政治的なところへも大きく踏み込み、踏み込もうとしており、これまでとはまた違った意識を持たなければならない…とも感じる。

 さて私たちは、次の世代に日本という国をどんな形でバトンタッチしていくのか、少子高齢、人口減少も含め、もっと深入りして考えていく必要がある。歴史にももっと学びながら…。(米永20240531)

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