2024年08月28日 18時36分

《歴史 》

国指定文化財 垂水島津家墓所災害復旧調査を詳しく説明

 垂水島津家墓所災害復旧発掘調査の現地説明会が、2024年8月24日、午前の部と午後の部で開催され、夏休みの子供向けと、発掘調査等に興味ある市民らが集まり、熱心に説明を聞いていた。

 過去の歴史を今に伝える数々の文化財のうち、国全体の歴史を語るうえで重要だと判断されたものが、国指定文化財として保護されるが、この「垂水島津家墓所」は、垂水市では初めての国指定文化財となっている。

  江戸時代、薩摩藩の中には、藩直轄の土地である地頭所と、藩主親族や有力家臣が支配する私領とがあり、私領主を務める家臣団最上位の家格として「一門家」があった。

 「国指定史跡鹿児島島津家墓所」では、鹿児島市の島津本宗家墓所のほか、一門家及びそれとほぼ同等の領地を持つ一所持格がまとまりとして指定されており、垂水島津家はそのうちの一門家にあたる。

 令和2年の春に国指定史跡に指定されたが、同じ年の夏に「豪雨災害」によって土砂崩れが起き、史跡の一部が被災。
 現在垂水市は、災害からの復旧作業に努めており、災害復旧事業のひとつとして、令和6年度は地下構造を調べるための発掘調査を実施。

 墓石がどのように設置されているのかを調べることで今後の修復作業の作戦が立てられ、土の重なり方を調べることで、災害対策工事の作戦が立てられ、今回、どのようなやり方で発掘調査を行い、どのようなことが分かったのか、その最新成果を伝える説明会となったもの。

 今回の発掘調査は、石造物の地下構造と史跡北方の土の重なり方とを調査することが主な目的。


 石造物周囲の土層は、均等に固められたような平坦な土の上に石造物が載せられていました。平成の調査の成果と比較してみると、少なくとも調査した箇所の石造物は、江戸時代ではなく明治大正以降にこの場所に安置された可能性もあるかと検討。

 石造物の中の土を調査したところ、周囲の土とは全く違う層が検出された。
 軽石などを均等に混ぜ合わせて平坦に固めたようなこの土の在り方は、この石造物の下に何らかの主体がある可能性があることを示している。

 江戸時代から埋葬主体があったのか、近代になってから別のお寺から埋葬主体ごと移されたのか、空洞の内部に土を充填し石造物を補強することが目的だったのかはわからないが、石造物の周囲と主体部が全く違う土の層であったという事実は大きな収穫だったという。

 また、斜面や史跡来北東側の土の様相からは、この墓所が何度も土砂流入災害にあっていたことが明確になり、今後は斜面`盛土`石造物周辺のそれぞれの土の関係性について詳しく調べていく。


 今回の発掘調査からは、多くの情報を得たり、確定させたりすることができ、この成果を踏まえて、専門家による助言を受け、今年度中に災害対策工事等の作戦を立て、迅速な災害復旧に努めていく予定となっている。

 令和2年度の災害では、史跡北側の石造物9基が被災。流れてきた土砂に運ばれてきたたコンクリートや樹木などがぶつかり、バラバラになってしまったものもあり、被災した石造物のほとんどは、幼いころに亡くなってしまった子どもたちのお墓で、中でも垂水島津家八代当主忠直の長男である安二郎のお墓は、樹木が直撃しており、大きなダメージを受けた。

 被災した石造物は令和4年度のうちに流入土砂の中から取り上げられ、令和5年度には文化会館裏手の保管小屋にて修復作業が行われ、災害対策工事が完了したあとに、また史跡の中で組み立てられ、元の状態に戻る予定となっている。

 この日、午前の部は、市民や夏休みのこどもたち向けに、垂水島津家墓所の特徴や調査の概要について、お長屋から垂水島津家墓所まで歩きながらやさしく説明。

 午後の部は、本災害復旧事業や発掘調査について興味のある地域住民が参加し、垂水島津家墓所にて事業の状況や調査成果が詳しく説明された。

 垂水島津家墓所についての問い合わせ先
 垂水市教育委員会社会教育課文化スポーツ係(文化会館内)
 垂水市田神2750-1
 Tel:0994-32-7551

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