2024年02月21日 09時21分

《伝統 》

七狩長田貫神社のシシ狩り神事「しんのう祭」

 鹿屋市田崎町の七狩長田貫(ななかりおさたぬき)神社(通称田崎神社)で令和6年2月17日、シシ狩り神事の「しんのう祭」が行われた。

 鹿屋市誌に祭の由来が記載されている。
「昔、猿田彦の神は先妻に死別し、後妻を迎えてて前妻の子を養育していた。後妻は子どもに隠して、別鍋にごちそうを作って食べていた。ある日子どもにそれが見つかり、告げ口からそれを知った。後妻はこの秘密を知られ、逃げてしまい、猿田彦は妻を探しに行った。

 桶ヶ平岡(現在の大浦町大須付近)まで行った時。ここに後妻が隠れているのではと思い、岡下の草やぶに火を放った。

 すると、火の中から大きなイノシシが飛び出し、弓矢で射止めた。

 それから、萩の木で作った弓に矢を結びつけ、氏子に与えるようになったという。もらった弓矢は神棚に置いて、家の守り神にした。」

 これが祭りの由来で、狩猟はじめの儀式として行われ、探しに行ったコースが祭りの神幸コースになっている。
 今年は、11日に同市郷之原の山からサカキ柴を切りに行き、神社に柴を持ち帰った。
 15~16日の2日間、神官と氏子は境内に植栽されている萩の木を使い、弓と矢を作る。弓は、萩の小枝を糸を張って弓とした。矢は、萩の小枝にサカキ柴の葉を矢羽根にして作った。

 祭り前日の16日深夜、神官はわら人形を作り境内の参道入口付近の地面に、わら人形を5寸釘で打ち付け、柴を刺した。これは祭神の別雷神が、明日の神幸祭の安全を祈願して行ったという。

 17日午前10時、長さ2メートルの竿先に「猿田彦」の面を吊した神面を先頭に、神官、神輿(みこし)、神社の旗を持った氏子などが郷ノ原まで神幸した。

 コースは神社から上谷地区を経由し、打馬町の早馬馬場まで。ここでは地区の人々が待っており、小さな弓矢を旅所の木の枝にかけてから神事があった。神事が終わると地区のみなさんが「ちけあげ」と呼ぶ「さつま揚げ」でもてなした。

 次は祓川地区の旅所まで神幸した。祓川の旅所は雑木林の中にあり、ここでも木の枝に弓矢を掛けてから神事があった。神事が終わると一同は昼食の弁当を食べる。

 次の旅所は大浦の旅所。ここは道路沿いにあり、周囲の木の枝に弓矢を掛けてから、神事があった。ここの旅所では、出迎えの人はなかった。かつては、サトイモの田楽を作ってもてなしていたという。

 最後の旅所は下谷(新栄町)の旅所。ここは公園の東端にあり、木が生えている。ここでも木の枝に弓矢を掛けてから、神事があった。ここでも、出迎えの人はいなかった。

 今年の神幸は春を思わせる陽気で、神輿を軽トラックに乗せ、神官らはバスに乗って移動して神幸した。
コロナは徐々におさまるようで、神社役員と出迎えの人々は久しぶりに焼酎を酌み交わし、笑顔で話していた。

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