《雑草(コラム) 》
主食の米だけは 需給バランスとかでなく国民のために
スーパー等で販売されるお米の値段が、高止まりのままで、動きが良くないのか問屋等で在庫がかなりだぶついていると聞いた。
石破政権のときには、米価に関して政府が何等かの形で介入して、これまでのとは違った流れが作られていくのかと思ったが、高市政権では、お米の需給バランス、市場にまかせ、バランスが崩れたときは、例えばお米券などで調整していく…そういった形なのだろうか。
日本の主食であるお米だが、嗜好的にも米離れになっているという。
果たして本当にそうなんだろうか。
令和のコメ騒動でも、その原因は減反等の国の政策にもあるということを、国民も知るようになってきた。今、スーパー等での米価の高止まり、米離れの原因は、嗜好的なものというより、他にある、うすうす国民も分かってきているのだろうとも思う。
せめて主食くらいは、この物価高の折、国が安定的に供給してくれるようなシステム、他国との食糧安全保障的なものもだろうが、国民に対しても国が国民のために考えてくれてもいいのではと思う。
国民の側からすると、そんな根本的なこともできないのか、強い経済をというが、もっと足元をちゃんとしてくれ…そんな思いもあるだろう。
これまで、作る側からというよりも、食べる側から農や食を考えて…と書いてきたのも、そういう視点からでもある。
作る側に対してのこれまでの減反等での規制、今の現状を見て逆に、特に主食である米に関しては、農家に対する価格補償的な形など、いい意味での米価に介入をしていく、そういうときではないかとも思う。せめて米だけでも…。
特に緑濃く豊かな国土を持っているはずなのに、自給率38%という脆弱な食。
一つには、食や農をあまりにも産業化し、大量生産し流通させ利益を得るという考え方が、そうした結果に繋がっている一面もあるかと思う。
それも大事なことなのだろうが、畜産を主に生産額ベースで200%を超える鹿児島県では、産業的な側面と、もっと自然に寄り添う形で、自分たちの食べる分に関しては、もっと違う考え方があってもいいのではと感じている。
食で安心できる環境を国もだが地方も
この大隅半島にも、移住をしてくる人たちが少しずつ増えてきて、全国にはもっと多くの人たちが移動している地域もあるのだろうが、そういった人の中には、その豊かな地で自分たちで食べる分は、自分たちで作って、その豊かさを自分たちの身の回りの農や食で感じようとしている人も増えてきているようだ。
例えば、この豊かな大隅半島に住んでいる人たちは、突飛かもしてないがベーシックインカム的に、米あるいは芋でもとかでもいいし、地域の中で困らない程度のものが身の回りにあり、ある程度安心して生活ができる…そんな環境を地域がシステムとして作っていく。
あるいは、地域の中で助け合いながらそうした土壌を作り上げていく。国が考えないのなら、自治体でバックアップしていく何かを考えてみることもありなのか。
江戸時代の備蓄米である囲米…
都会ではできないことだが、地方ではできる…。そろそろ全国一律に、東京も大阪も北海道も鹿児島も沖縄も同じシステム、制度、同じような事業をさせるということに無理が生じてきているということを認識。
例えば、自分たちで食べる分は安心安全なものをということに繋がる「緑の食糧システム戦略」も、気候や環境も違う北海道と鹿児島で同じように適用し、同じような結果を求めるのは難しく、備蓄を国がすべて管理するというからおかしなことになってしまう。
江戸時代の備蓄米である囲米、幕府や各藩が米を貯蔵する制度のように、県や市町村が支え合いながら、主食を安定させ住民に提供したり、あるいは国が音頭を取り主食の価格補償をしていくようなこれまでとは違うスタイル。
くどいようだが、主食の米だけはせめて、そうした制度で自給率を高めてもらい、安心して過ごしたい。豊かな大隅半島だからこそ…。
個人的には石破政権の農政には期待をしていたが、果たして今後は…。(米永20251216)
















































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