2025年11月18日 23時33分

《戦争と平和 》

夜間奇襲を専門にした海軍芙蓉部隊戦没者慰霊祭厳かに

令和7年度海軍芙蓉部隊戦没者慰霊祭が、令和7年11月11日(火) 、大隅農産物加工センターで開催された。

 主催 曽於市
 共催 岩川芙蓉会

 太平洋戦争の末期、戦争の相手国であったアメリカは多数の兵力で空・海・陸の全面から日本の国土を侵略しようと、まず沖縄を占拠して次第に南九州へ迫ってきた。

 この危機に際して日本は、国家の総力を挙げて要撃と防術体制を固めたが、大隅町も国家の緊急な命令により祖先伝来の土地を提供し、力を合わせて航空基地を緊急に造成した。

 この基地を使用したのは、夜間奇襲を専門にする海軍芙蓉部隊である。
 戦闘901飛行隊長であった美濃部正少佐が飛行長となり、部隊の指揮を執った。

 芙蓉隊は、昭和20年3末、静岡県藤枝基地から沖縄防術作戦のために鹿屋基地へ進出して戦い、さらに同年5月20日、岩川基地を最後の根拠地として終戦まで戦い続けた。

 そして延べ600余機が出撃し、藤枝基地をあわせて百余名(搭乗員及び地上勤務の整備員)の戦没者を出した。

 この苛烈な状況の中で、大隅町の人々は食糧も諸物資も窮乏し敵機の空襲に脅かされても、基地の隊員たちを温かく慰問し元気づけた。

 その岩川海軍航空基地があった場所、曽於市八合原の一隅に、芙蓉の塔が建立されている。

写真=竹田正博市長が式辞

写真=財部中学2年の石神杏珠さんによる平和メッセージ朗読

写真=芙蓉部隊元隊員家族の渡辺広睛氏による追悼のことば

 この日の慰霊祭では、国歌斉唱のあと黙とう。
 竹田正博市長が式辞。財部中学2年の石神杏珠さんによる平和メッセージ朗読、芙蓉部隊元隊員家族の渡辺広睛氏による追悼のことば、戦没遺書奉読があった。

 遺書奉読のいきさつは次の通り。
 海軍芙蓉部隊中尉、故甘利洋司氏は、昭和20年5月13日、敵機動部隊黎明索敵攻撃の際、戦況報告後、エンジントラブルのため連絡が途絶え、藤田泰三飛曹長と共に未帰還となられました。

 甘利様のご遺体は、駿河湾(静岡県)へ流れ着き、故郷である長野県に無言の帰還を果たされました。
 このたび、ご家族より、甘利中尉の「遺書」及び「出撃前夜のご両親への最後の手紙」を寄贈頂きました。

写真=岩川芙藜会会長による献花

写真=海上自衛隊鹿屋航空地第一航空群司令による献花

 続いて曽於市長、岩川芙藜会会長、美濃部少佐ご息女、海芙部隊員家族代表、追悼者代表、曽於市議会議長、曽於市教育長、衆議院議員、鹿児島水交会会長、海上自衛隊鹿屋航空地第一航空群司令、自衛隊鹿児島地方協力本部長、曽於市商工会会長、そお鹿児島農隶協同組合大隅地域理事らによる献花が行われた。

 なお、曽於市八合原の芙蓉の塔については、終戦近い苛烈な状況の中、短い期冏であるが芙蓉部隊員と住民の間に結ばれた心の絆は戦後も続き、その結晶として昭和53年11月11日に、住民の発起と推進並びに元隊員の協力による芙ま之塔が竣工・除墓された。

 芙蓉之塔は祖国を護るために若い生命を捧げた英霊の真情を崇敬し、世界の平和を祈る精神の集中点として立てられている。
 この芙蓉之塔の頂には、大理石を磨いたきな球が載っているが、これは英霊の崇高な魂と平和な世界を象徴したものである。

 この日は悪天候のために、芙蓉の塔前から会場が大隅農産物加工センターに移されて行われた。

写真=大隅中学校吹奏楽部の演奏

 また、式典での演奏は大隅中学校吹奏楽部。
 同奏楽部は、1年生7名、2年生5名の12名で活動。
 今年7月に開催された第59回県中学校音楽コンクール「夏の祭典」において「金賞」を交賞。
 また、第70回鹿児島県吹奏楽コンクールにおいても「金賞」を受賞し、県代表として九州吹奏楽コンクールに出場するなど、華々しい活躍を見せている。

 地域での演奏活動も行い、その重厚かつ迫力のあるサウンドは、聴衆に感動を与えており、今後のさらなる活躍が期待される吹奏楽部である。

 曽於市役所 大迫伸一
 大分県立芸術短期大学(現大分県立芸術文化短期学) 器楽科トランペットコース卒業

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