《雑草(コラム) 》
多様性の時代 政治も混沌とした時代を迎える…
先日、鹿屋市内某所でふと呼び止められて立ち話をしていたが、そのうち座り込んでの語り合いとなった。
昨今の政治の話、参院選が終わってから、政治が本当に国民のほうを向いているのか…などということ。
折も折、自民党総裁選の前倒しのこと、既成政党や新興政党、選挙とSNS、新聞やテレビ報道についてなど、ひとしきり話を聞いた。

60代の私より少し先輩というところか…。
年代的に新聞やテレビ世代と思っていたが、ネット情報等もそれなりに詳しい方で、若い世代との語りとはまた違い、思っている方向性はいっしょなのかな…という気もした。
政治が、国民のほうを向いて動いていない…。政局や政争だけということでもないが、時代は大きく動き続けているのに、現状に不満な国民が多いのに、そこを解決していこうという施策、選択というか、具体的な現実の動きも見えない。それらが選挙の結果として出てきている。
既成政党、既成メディアが時代の動きについていけてない…、これでは日本は良くならない…と。
そしてこれはネット情報の影響かもしれないが、政治家が財務省はじめお役人の言いなりで、国民は蚊帳の外だという。
情報の選択的接触がだんだんエスカレート
このときは、ある程度会話ができて情報交換ができたが、中には、政党や政治家を一刀両断でバッサリ、それも感情的な言葉、情報が発せされたりすることもある。
これはネット上で自分の知りたいことだけ、思いに合う情報だけを探し、その選択的接触がだんだんエスカレートしどんどん偏っていく。そうした場合は会話にならなくなる。
最近は、そういったケースも増えてきた。
それまで普通に話をしていたのが、あることになると急に「えっ」と思えるような言葉や考え方が洗脳されたように羅列され、会話が一方通行になる。
ラジオや新聞、テレビなどのメディアの時代とは、まったく新しい時代となっているのだろう。肌で感じるときも多くなってきた。
昨今の選挙も、60代以上の新聞やテレビ世代と、20代、30代のネット世代と括って投票がされているという人もいる。
思うに、情報の選択的接触から、その中でも自分の知らない情報を見つけたとしたら、それが事実確認を欠いた情報だったりとしても、自己顕示欲的にいとも簡単に拡散され独り歩きしてしまう。
そういった危うさの中にいて、それが選挙に関わることだと年代もあまり関係なくなりもっと危うくなってしまうのか。
さらにはAIが絡んでくると余計、自分で考えることなく情報が拡散されていく危うさが増幅していく。
政治が国民のほうを向いている…どんな手段で…?
話が少し変な方向へ流れてしまったが、そうした情報収集をする人たちにとっては、党内でのいざこざや、政党間でどこと組むとかの既存メディアのニュースとかでなく、もっと自分たちの生活に密着するような政治や施策、事業のニュースに飛びついていく。
戦後復興という何をするのかはっきりしていた時代でなく、時代が大きく変化し多様化の時代で、情報の選択的接触がエスカレートしていくと、55年体制からの政治や二大政党ということでなく、一つの政党とかでない様々な考えを持った政党からの情報、その選択肢が広がっていくのか。
少数与党ということもあり、これからは本格的な多党制の時代に入っていくのだろうか。
有権者に対して何をしたい政党なのかをいくつか鮮明にし、その共通な部分で政策的にくっついたり離れたりする。
穿った見方かもしれないが、そうしたことに気づいた政党が、このネット時代に生き残っていく。
時代の流れの中で政治の在り方も変化していく…。
それこそ情報の選択的接触だと批判されるのかもしれないが、この多様性の時代、スマホ等で情報が一方的に大量に流れる時代にどう対応するか、それによって国民のほうを向いているか否かが判断される情報化社会になっているということなのか?、混沌とした時代を迎える…(米永20250827)