2023年11月13日 20時02分

《教育・社会 》

将来を心配、過去を悔やむのでなく、目の前のことを楽しく一生懸命に

鹿屋高等学校創立100周年を祝う

 県立鹿屋高等学校創立100周年記念事業は、11月11日、式典、記念講演会、祝賀会が開催された。

写真=福元校長による式辞

 記念事業の中心となるものは、未来を担う三星健児への支援事業で、「世界にはばたけ三星健児」として、令和5年度からの10年間の海外への留学や交流を支援する基金が設立され、来年3月から米国への留学支援が実施される。
 また、国外留学・国内研修のほか、生徒考案のデザインで、創立100周年記念ポロシャツを作成した。

写真=嶋田実行委員長あいさつ

写真=100周年を記念して制服を一新

 この日は、創立100周年記念式典の前に亡師亡友慰霊祭が執り行われた。
 記念式典では、福元洋介学校長による式辞、嶋田芳博実行委員長があいさつ。塩田康一鹿児島県知事、県議会議長、県教育委員会教育長、県高等学校校長協会会長らからの祝辞があり、100周年を祝った。

写真=会場の様子

 100周年記念講演会の講師は、畑山浩昭氏
1981年昭和56年)鹿屋高校卒
1985年桜美林大学文学部卒業
その後、高校教師として働いたのち、ノースカロライナ大学シャーロット校大学院修士課程修了。
ノースカロライナ大学グリーンズボロ校大学院博士課程修了、マサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了、専門は文学・レトリック学
2006年に桜美林大学教授となり、2018年に同大学第5代学長に就任。

写真=記念講演の畑山氏

 畑山氏は、「いま、ここで、輝く三星」と題し次の要旨語った。

 高校時代の楽しい思い出のほか、大学受験の失敗、学生時代はロックバンドで生きていくつもりだったが、その後教員採用試験には不合格。
 
 アメリカへの波乱万丈の留学。35歳で外国人枠で大学に就職、42歳で教授となったが、大学運営の業務もだんだん増え、教員職と運営職のダブルトラックで苦労した。

 大学の教員になろうと思ってなかったし、ほとんどの人は学長が何をしているか知らない、いいことも悪いことも総合的最終的責任者という立場だが、これまでの流れから得た知見はあるものの、ことごとく失敗してきた…。

 その時の目標や目的は達成してないことだらけだけど、その箇所箇所で気づいたこと、気づかなかったことがある中、クロスロード、まっすぐいくか、右か左か、何かきっかけがあって、その時のチャンスや人との出会いを見逃さないということが非常に大事。

 楽な方向に行くんだったらそれでいいが、いったん迷って、自分が目標としていること、こうやって振り返ってみると、イメージ通りにいかないかもしれないが、自分が描いたことを積み重ねていくと物語に繋がっていく。

 鹿児島でいうとなこかい、とぼかい、なこよりひっとべというみたいに、その時に諦めていない、やってみようかなと思うこと。

 今ここでやる、ということ、将来のことを心配したり、過去のことを悔やんだりでなく、いま自分が目の前でやっていることを楽しく、一生懸命やる、これを続けていくと話が繋がってくる。

 自分の人生を振り返ってみても、いろんな先人の本を読んでみても、同じことを言っている人がたくさんいる。

 今ここでやっているということが繋がって物語となる。本気でロックバンドで生きていこうとした。夢は叶わなかったけれど、真剣に向き合ったこと、その知見が今に生きている。今のこの瞬間を一生懸命、前向きに生きてください…など語った。
 
 記念講演会終了後、記念祝賀会が、ホテルさつき苑で行わた。

写真=祝賀会も開催

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