《おおすみ雑記 》
普通に生きられればいい…今が普通でないということ…
元旦、初日の出や初詣でいろんな方にお会いし、いろいろ聞いたときに、多くかったのが「普通に生きられればそれでいい」ということだった。
いつも連絡が来る同級生や知人も、どうしたのかと思っていたら、風邪をひいていて寝正月とか、年末に39度の熱が出、ふらふらし救急病院に行った。
午前10時の時点で120番、午後4時にやっと診察で薬をもらった。インフルエンザだったが、ふらふらしながら6時間も待ち、その後も寝年末と寝正月。
インフルに注意をして…ということだった。
元旦は、周りの畑に霜が降り、真っ白となった中で柏原海岸の初日の出へバイクで走った。革ジャンを着たり防備していったが、さすがにグローブはちゃんとしていたものの手が冷たくて、それが体の芯に響いた。
帰ってそうした近況をSNSやラインで確認してから、寝正月ではないが、暖まろうと思って少し布団にもぐった。
どこそこいく仕事なので、インフルに気を付けたいと思った。
インタビューをして「普通に生きられれば」それでいい…ということは、今が普通でないと感じているということだ。
一番の思いはやはり「戦争」なのだろう。軍対軍の戦いだけでなく、民間の建物も容赦なく破壊され、抵抗できない子どもや女性が多くが被害に遭っている様、それもこれだけ長く続くと、私たちの脳裏、意識の中にこびりついて離れなくなっているということなのか。
多くの人たちの共通の思いか…
でも普通でないこの状態を、遠く離れた場所でもあり、私たち一市民がどうしようもないのであろうが、一つには、いつ自分たちの身に降りかかってくるのか、そうした不安もあるのだろうと思う。
この世情に備えて日本も軍備増強を進めているという深層的なものもあるのか。
それに加え激甚災害、そして毎日の生活の中でも物価高、今までにないような犯罪も増えている。
普通に生きられればいい…何かこの2025年を共通した思いで多くの人が迎えたのか。
2025年は、60年に一度の巳年、乙巳(きのとみ)の年とされ、60年周期で巡ってくる変革や新たな始まりを象徴する特別な年だといわれる。
普通の人たちが、普通に生きられればと願う2025年。いい意味での変革や新たな始まりを期待したい。これ以上悪くならない変革でないように…。(米永20250103)