2025年12月04日 15時17分

《教育・社会 》

ただいまの声が聞きたい お帰りって抱きしめてあげたい

中学生を対象とした北朝鮮による拉致被害者家族の講演会 田崎中で

 中学生を対象とした北朝鮮による拉致被害者家族の講演会が、令和7年11月28日(金)、鹿屋市立田崎中学校で開催され、拉致被害者である市川修-さんの兄夫婦である市川健一さん(80歳)、市川龍子さん(79歳)夫妻が、拉致問題に関しての現状や課題と、拉致された修一さんへの思いを伝え、その関心と理解を訴えた。
 また、12月5日(金)には、上小原中学校でも開催される。

 北朝鮮による拉致被害者家族の講演を中学生が聴くことで、若い世代に対して拉致問題の理解と関心を高め、家族や友人、周囲の人を大事にすることの大切さを改めて考える授業となった。
 演題は「家族の絆」。

 46年前の昭和53(1978)年、市川修一さんと増元るみ子さんは「夕日を見に行く」と言って吹上浜海岸に出かけたまま行方不明となった。
 市川さんは当時23歳で鹿児島市の電電公社(現NTT)職員、増元さんは当時24歳で事務員。
 事件時の車はロックされ、車内はまったく荒らされた形跡がなかった。
 市川さんについては安明進氏が金正日政治軍事大学で何回も目撃し話をしたこともあると証言している。

 講演会では、講師紹介があり、市川健一さんが、「平成14年9月、日朝首脳会談で北朝鮮当局はようやく拉致問題を認めたが、修一さんは昭和54年、海水浴中に心臓麻痺で死亡、るみ子さんも昭和56年に心臓麻痺で死亡したと主張しているが、こうした北朝鮮側の説明には多くの問題点や矛盾点があり、とうてい納得できるものではありません。

 もと北朝鮮にいた人たちの証言から修一は生きていると確信、日本政府は北朝鮮当局に対し、すべての拉致被害者の安全確保と速やかな帰国、そして拉致問題の真相究明を強く要求している。

 ただ、拉致問題が風化することを一番恐れている。被害者全員が祖国の土を踏むまで関心を持ち続け、この拉致問題を忘れないでください。
 国民の強い支持が無いと外交は動かない。そのためにも、世論を高めて頂けたらありがたい。皆さんの力をどうか私たちにお貸しください」。


 龍子さんは、義母が朝鮮半島の38度線、北朝鮮を目の前ににして大声で名前を呼んでいたことなど話し「愛する家族と引き裂かれた耐え難い苦しみが何十年も続いている。ただいまの声が聞きたいんです。お帰りって抱きしめてあげたいんですよ」などと伝えた。

 「自分が、拉致されたらどのぐらい怖いのかなとなど感じ、忘れないようにしたいと思った」など生徒代表お礼のことばがあった。

 鹿屋市では、拉致問題が風化することを防ぐため、これまで各学校が個別に実施していた拉致被害者家族の講演を、令和4年度から計画的に市内中学校等で実施している。

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