《戦争と平和 》
特攻兵 戦没者の御霊に追悼 鹿屋市で終戦記念日の集い
終戦記念日の集いが、令和8年8月15日、鹿屋市今坂町の小塚公園内特攻慰霊塔特設会場で開催され、特攻で散華された若者、戦没者の御霊、その遺族らに追悼の意を表し、再び戦争の惨禍が繰り返されないことを祈った。
鹿屋航空基地史料館協力会(平田辰雄会長)主催。
写真=黙とうを行う参加者
この日は、国会議員や第1航空群司令、鹿屋市防衛協会会員、海上自衛隊鹿屋航空基地後援会会員、鹿屋市自衛隊家族会、協力会会員ら、約30人が参加した。
国歌が斉唱され、全国戦没者追悼式のラジオ放送が会場に流れ、その流れに沿って集いが進められ、正午のサイレンに合わせ1分間の黙とうがあった。
実行委員会の平田委員長が「109歳の最後の特攻兵がお亡くなりになって、ゼロ戦の搭乗員は誰も残っていないことになる」などと述べ、生還されてからの生活や硫黄島での活動を説明。戦没者の御霊に追悼の意を表した。
写真=国歌斉唱
写真=森山裕衆議院議員が来賓あいさつ
写真=海上自衛隊第一航空群の杉浦史朗主席幕僚があいさつ
森山裕衆議院議員、海上自衛隊第一航空群の杉浦史朗主席幕僚が来賓を代表してあいさつ。
参加者全員による焼香があり、過去を顧み、深い反省の上に立って、戦争のない世界の平和と、国の一層の発展が祈られた。
また、平田会長による講話があり、8月15日の玉音放送を聞いたあと、部下22名と自らを乗せた彗星艦爆11機で沖縄方面に出撃し特攻を実施した宇垣纒中将。
片や、死ぬときはできるだけ長く苦しんで死ぬと言い、介錯を拒み割腹自殺をした大西瀧治郎。
当時海軍航空本部のために物資調達を行い親交のあった児玉誉士夫が後追い自殺をしようとしたとき「若い者が生き残って日本のために働いて」と止め、息を引き取った。
その二人の生きざまを紹介した。
写真=平田会長が焼香













































カナザワ様 7月例会_250708_10_1024.jpg)




