《雑草(コラム) 》
衆院選論戦で思うこと…安保3文書の改訂など
戦後70年前後からだろうか、もっと前からか、戦争体験者、語り部がこれからどんどん居なくなる、この悲惨な戦争を風化させないためにも、戦争を語り継いでいかないとならない…など言われてきた。
そして戦後80年が過ぎ、それが現実を帯びてきているのか。
それは、戦争を起こす側、権力者。
そして戦争にかり出され、また戦争の被害を受ける側、弱者。
それぞれの存在。
今のこの世界情勢を背景に、これまでの戦争の悲惨さや残忍さということを飛び越え、選挙戦でも強い経済、強い日本をという。
ただ、権力や覇権争い…ということでなく、戦争の歴史や戦争論を研究している識者からすると、今、武器を持つ持たないに関係なく、すでに世界中での戦争状態にあるのだ…ということが指摘されている。
戦争の歴史を遡ってみると、農耕や資源の争奪による集団間の武力衝突、原始的戦争。
そして武士や貴族など特定の階級を中心にした争い。
次に国という存在があっての国家戦争、国民戦争と発展していく。
今はというと、国という括りを超え、あるいはイデオロギーや宗教、民族をも超え、テロとの戦いが象徴されるように、これまでの戦争に対する考えが否定さるような形で、銃撃戦が行われている場であるかないかは問わず、世界中が戦争状態にあると指摘されている。
いつ解散があるか分からない衆院選ではよく常在戦場という言葉が使われるが、特にトランプ政権になってからの日本もある意味、周辺国や関係国との絡みを考えると、間接的に戦争状態にある。
世界中が常在戦場なのだ…と。
そうした認識も少し頭の隅に入れて考えてみると、戦争に対する意識やこの選挙戦での立ち位置や態度も変わってくるのではないか…とも考えている。
グローバルでワールドワイドな社会は、経済だけではなく戦争という場面でも、世界中を吞み込んでしまっているのか。
少し立ち止まってみる必要があるのでは
そういった現状を頭に入れ考えてみた場合、私たち国民は今、何をしたらいいのだろうか。
太平洋戦争が勃発したときの歴史を学んでいると、その流れで、政府や軍によるプロパガンダが大きく国民の心を揺らした。
権力者の意向と、国民の側へそれが伝播し思いが一致したときほど危ういときは無い。
今、日本は安保法制が整備され、そして今回の選挙でも、その改訂も争点となっている。
有権者の中には、日本ももっと力を持つべきという方々もいらっしゃるので、一方的に論ずることはできないが、本当はその多くが弱者であるはずの国民が、権力者と同じような気持ちになっていくことがあるとすれば、この世の中が不安定な時であるからこそ、そこに一歩踏み込んでいくのでなく、少し立ち止まってみる必要があるのではとも考えたりする。
特に法の支配から力の支配へと、この世が動き出しているときだからこそ…。
本当に非核三原則の見直しや安保3文書の改訂なのか
前回、食の安全保障のことを書いたように、今、日本という国がしなければならないことは、本当に非核三原則の見直しや安保3文書の改訂なのだろうか。
戦争を知らない私たちも含めて、もっと若い人たちは、自分の身に降りかかることはない、対岸の火事という思いなのかもしれないが、今の勢いで世界中の戦火に油を降り注ぐような動きは、力による支配を求める国々、日本に占領された国々や地域も含め、先の大戦を思い起こすことにもならないか…。
今回の選挙に際して私たちは、そうした認識も必要なのかとも思う。
今の社会に生きづらさやもやもや感を覚えていらっしゃる方がいるとしたら逆になおさら。
もっというと人類、人間としての性(さが)のようなもの、戦争へ向かうその人間が元来持っている暴力性や破壊的態度についても続いて書いていきたい。(米永20260203)
















































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