《伝統 》
七草の子どもの厄払い、大漁・豊作・無病息災など祈願
肝付町内之浦地区の正月伝統行事「ドヤドャサー」
肝付町内之浦地区の正月伝統行事「ドヤドャサー」が、令和7年1月7日、同地区市街地の下浜で開催された。
ドヤドャサーは、門松などの正月飾りと、約15mの飾り付けた孟宗竹とを焼き、竹が燃えるときに「ターン ターン」と弾ける大きな音で悪霊を追い払い、七草の子どもの厄払い、大漁・豊作・無病息災などを祈願する鬼火焚きで、無形民俗文化財となっている。
主催は南方振興会。その資料によると次のように伝えられている。
戦時中途絶えていたが、1976年(昭和51年)に座元の仲町子供会が音頭をとって復活。
1993年(平成5年)に内之浦町の無形民俗文他財に指定され、町ぐるみの正月行事として定首している。
ドヤドヤサーの語源は不明だが、俳句の新年季語に「どんど焼き」「ドンド正月」などがあり、サー(様)の敬称がついていることから、正月の飾り物などを焚いてそのほてりで一年の無病息災を祈願する厄払いの神事として定蓄したと思われる。
ドヤドャサーの火は神聖視され、門松や注連飾りの煙にのってお正月様は天に帰られると信じられている。
内之浦の鬼火炊きドヤドャサーは、近隣の町村に比べて特色がある。
①午後2時に火入れがあり、真昼に催される。
②干支を現す12本の縄で竹柱を支える。
③竹の破裂音に吸応して歓声を上ける…など。
内之浦漁港の西側広場に孟宗竹3本を立てて主柱とし、周りを12本のカラ竹でとり囲むカラ竹の先端を縛り、そこから12本の縄を放射線状に張る。
参加者は干支にちなんだ12本の縄を生まれ月ごとに奉持する。
妄想竹の先端には、大漁・豊作祈願の扇や5色の布、折り紙などを飾り天神地祇(天の神・地の神)を招く。
竹柱の根元には、参加者が持参した門松や注連飾りが山と積まれる。
午後2時、お祓いを済ませた七草の子が主催者の介添えでc。
火は竹柱をなめるように勢いよく燃え上がり、加熱された竹はおりおり破裂音をとどろかせる。
参加者は破裂音に吸応して「オー」と一斉に厄払いの雄叫びを上げる。
竹柱の根元が焼けてゆらぎはじめると、12本の縄尻がピンと張りつめ妄想竹先喘の飾りを得るにめ縄の引さ合いが始まる。
力の強い方に竹柱は倒れ、押し合いへし合い、飾りの争奪がすさまじい。
火のあぶられた竹笹や飾りは家の魔除けに、孟宗竹は輪切りにして貯金筒に利用される。
この神事は、江戸時代から太平洋戦争末期まで浦町地区(漁業中心の地区)の正月行事として上町・下町・上向の3集落(方眼)で行われていた。
上町、下町は現在の広場付近で、上向は小田川河口にあった中洲で郷中教育に準じた青少年集団の三大行事(ドヤドャサー、天神講、十五夜)の一つとして行われていたという。
1976年(昭和51年) 1月6日、仲町振興会の長反繁男氏が音頭をとり、仲町子供会の主催によって35年ぶりに復活し、以来南方振興会の主催として継承され、1993年(平成5年)に内之浦町の無形民俗文化として指定され、安定した正月行事として町民に親しまれている。
この日は、神事がしめやかに行われ、七草の子どもたちがお祓いを受け玉串奉てんし、焚き物に点火、勢いよく燃え上がる孟宗竹から伸びる誕生月の縄をしっかり握りしめ引き合った。
燃え上がり倒れた孟宗竹の飾り付けを我先と奪い合い、皆で福を分け合った。
七草祝いは次の7人(敬称略)。
なかのまお、たまおきあおは、まつばらりょう、かみむらけんたろう、きのしたゆい、なかのゆうせい、たていしゆうま。