2025年06月30日 21時07分

《行政 》

特に思い入れの強いのは野方インターとスポーツタウン構想

12月に任期満了、6期で勇退を決めた東靖弘大崎町長

 大崎町の東靖弘町長は、令和7年6月大崎町議会定例会の中で、次期町長選に立候補しないことを明らかにしたが(6月18日の記事で掲載)、勇退表明のあとに続け次の要旨語った。

 少子化、高齢化、人口減少社会の中で、この大崎町をよりよく発展させていくためには大きな変革を伴います。

 未来の輝かしい大崎町を築いていく意欲を持った人に大崎町の発展を託したいと思います。

 また、これからも誠心誠意、町政の発展に努めながら、任期を終えたいと思います。ありがとうございました。

6期24年にわたり公約の実現に努めてきた

 さらに、中倉議員からは、公約の実現度合いはどうなのか再質問があり次の答弁を行った。

 町長選挙にあたり、まちづくりへの挑戦、一隅の照を基本理念に掲げ、平成13年12月21日、町長の職に就きました。

 1期目から2期目にかけては、政府の三位一体の改革の方針に基づき、町立保育所の民間委託、市町村合併問題、さらには中学校の統合問題など協議を要することも多く、公約の推進はなかなか厳しい局面がありました。

 その中でよかったと思ったことは、金型企業や地元企業の立地を生かした雇用促進が図られたこと。
 小中学校の教育施設の整備が実施できたことでありました。

 3期目から4期目にかけては、口蹄疫の発生による昼夜を問わず車両消毒作業への対応や、競り市での点検、価格下落など本町農業、畜産に大きな影響がありました。

 大崎救急分駐所の開設、東日本大震災への職員派遣、標高表示板による防災減災対策、大崎中学校大規模改修による学び舎の整備など、新生大崎中学校のスタート。

 平成24年に小学6年生、平成26年に中学3年、平成28年に高校3年生と、段階的に医療費の無料化を拡充いたしました。

 また野方インターチェンジの供用開始と道の駅野方あらさの開設、特定優良住宅、シャルム文化通の供用開始といったものを住民の皆さんと協力し合いながら実現してきました。

 また5期目から6期目にかけては、リサイクル未来創生奨学金制度の創設、全小中学校への空調設備の導入、定住化促進、農業基盤整備、鳥獣被害対策、ジャパンアスリートトレーニングセンターおおすみのオープン、農業公社やスポーツ観光おおさきの設立、高校生の路線バス定期券購入補助、免許証返納者に対するタクシー利用券の交付、学校給食全額無償化など実現してきました。

 資源リサイクル、SDG、ふるさと納税、スポーツ観光を核とした未来へ繋がるまちづくり、稼ぐ自治体づくり、移住定住など6期24年にわたり、公約の実現に努めて参りました。

100%ではないがおおむね実現することができたような思い

 就任当初は財政基盤も弱く、職員提案による施策などなかなか実現できず、職員に申し訳ないという思いから、苦しい時期が長く続きました。

 この厳しい状況を解消するため平成27年度からふるさと納税制度に挑戦することを決意し、農林水産業や商工漁業者、PR関係事業者など関係者のもと取り組んで参りました。

 現在に至るまで安定した財源が確保でき、公約の推進のほか、公約以外の子育てや学校環境の整備や、高齢者福祉の推進などで活用できるようになりました。

 6期24年という長い期間の中で、100%ではありませんが、おおむね実現することができたような思いがします。

ともに10年以上かけて実現…

 また、議会終了後、記者団の質問に対し、野方インターチェンジの供用開始に関しては、財部インターから志布志インターまで無料で一車線…が発表されたときに、地元の人たちからもやってくれということもあったんですが、地元を巻き込んでいっぺんに住民の皆さんの署名活動をしていただいて、そこから無から有にする運動を行った。

 就任してから間もなくですから、平成15年から展開して、徹底して県に行き、国に行き、九州に行って、認めていただいたのが24年4月、その時は両サイドの工事は始まっており、改めて鹿児島県、その当時伊藤知事が野方インターの整備を認めていただいた。

 地域活性化でということでしたので、道の駅をつくろうと思って、箱だけは町が建てて、中にローソンに入ってもらって、高速バスを空港まで、鹿屋発ということで寄っていただくということになった。

 一番の思い出は、当初計画の無かった野方インターを地域の皆さん方と戦って、要望活動を行い10年以上掛けて開設したこと。

 また、スポーツタウンおおさきをつくるというのが1期目の構想であり、スポーツによる活性化、武道館、陸上、野球など皆が大崎町に集まってくるような構想を掲げ、動いていた。

 平成20年くらいから、薩摩半島に比べたら大隅半島の人口減少が進んでおり、活力ある高校づくり、統廃合を考えましょうということで、農業系とかの入学者がだんだん減っていき定員割れ、そういった中でスポーツタウンによるまちづくりをやろうと、統合を認めてもらい、その跡の活用をということも認めていただいた。

 これも10年くらい掛かりました。それも一生懸命した。何かあると知事のところに寄るとかやってきて、この2つは思い入れが強いです。

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