《雑草 》
日本人独特の理法、指針、倫理観のようなもの
戦争や自衛隊のことなど、ここ数回記してきた。
同じようなことを繰り返し言っていたような気もするが、今度は、「平和」について日ごろ考えていることを書いてみたい。
それは、戦争や平和について、この欄でしつこいほど書いてきた哲学者カントの「人間は邪悪な存在である」ということを出発点とし、「なぜ戦争が起こるのか」でなく「どうすれば戦争が起きなくなるか」を考え、平和は自然状態ではなく、平和状態は新たに自分たちの手でお互い努力して創出しないといけない。
この文章を繰り返し読み直して、いろいろ考えてきた。
教科書で習った日本という国は、自分の勉強不足だったのかもしれないが、太平洋戦争もこの国を守るためにやむを得なく開戦し、敗戦後も一人ひとりの命を大切に平和を希求してきた…というイメージ。
ただその後、戦争の歴史を学び、新しい記録等が発見され公開されていく度に、そうした思いが少しずつ崩れていった。
そこで視点を少し変えてみて、日本という国…ではなく、島国という日本の中の「日本人」とはなんぞや…ということ。
明治以降、戦後も含め西洋化されてきた日本ではなく、それ以前の日本人の気質というものを考えてみる。
勝手な思い込みかもしれないが、そこに「平和」というものを考えるヒントのようなものがあるのではないかという思いがある。
それは、別なコラムでもふれた縄文人、今はその長い歴史の中でDNAがだいぶ薄れてきているとも言われるが、それらDNAを根底にしながら独自の道徳観や倫理観が育まれてきた。
そうした日本人の存在があるとするなら、平和状態を自分たちの手でお互い努力して創出できるのではないかという妄想を抱いている。
お互いを認め合う独自の文化も
日本人特有の気質を考えてみると、それは一つには、この花や緑、四季折々の自然豊かな風土に感謝する心があると思う。
そして日本各地で春を告げる祭りや夏越祭、収穫祭などの祭りや二十四節気などの行事が年間を通して行われ季節を感じてきた。
今は、それがイベント化、イベントを中心とした祭りが多くなり、寂しい思いをしているが、日本の祭りや行事は、日常で自然に接し畏敬の念を持って、それが人に対しても優しく、思いやりを持つ心に繋がっている。
それは、例えば水神様、田の神さあ、山ん神(かん)、火の神など祠や像が建てられ祀られており、それは信仰にも繋がってくるが、日本では他に余り類を見ない、お互いを認め合う神仏習合という独自の文化も創り上げてきた。
自然を相手に恵みの作物に感謝しながらの日々があったが、西洋文明を取り入れてから、その伝統も少しずつ薄れてきて農や食に対する考え方も大きく変わってきた。
「安寧に生きる」ということを考えてみる
そしてDNA的には、縄文や弥生人、加えて渡来も含め入り混じった系統が色濃くなっているも言われるが、西洋化される前を考えるとほぼ同じ生活様式を送ってきたことも、平和ということを考える場合に、大きな意味を持つとも思う。
そこで、以前も少し触れたことがある「空」や「無」、般若心経で知られ、もともとは渡来してきたものだが、仏教というよりも、私たち日本人は自分たちが生きていく上での日本人独特の理法、指針、倫理観のようなものが生まれてきて、日本人独自の「武士道」など「道」というにも影響を与えてきた。
明治維新から150年余り、その前後から西洋文明を多く取り入れ、先進国の仲間入りをしてきたが、それ以前の縄文からすると約1万7千年、その間は、主にアジアの文化を取り入れ、日本人のルーツを形成してきた、そうしたことを今一度見直して、「安寧に生きる」ということを考えてみる。
日本人としてどう生きていくか…
もちろん、今の世界情勢を考えると、そんな悠長なことは言ってられないと言われそうだが、ただ、この自民党総裁選や立憲民主党代表選があり、議院内閣制のもと総理大臣が決められ、国家としての日本という国の行く末が決められる。
そこでは総選挙という形で私たちも参加するが、小選挙区になってから、また最近の投票率の低下など、客観的に見ても票の重みもだんだん薄れてきている。
そういった中でこの国の舵取りがなされていくが、本当に民意は反映されているのか、無党派層も多く政治を諦めている人も少なからずいると思う。
国ということもだが、日本人としてどう生きていくか…ということを考え、平和につなげて何かしら伝えてみたい。
若いときは議論を吹っ掛けたりして息巻いていた時もあった。この年齢になったからなのだろうが、時代が大きく動き、分断される社会で難しいのだろうが、でもだからこそ「安寧に生きる人」が増えていけば、その周りも少しは平和な空気が漂うのかとも思う。
そうした日本人がまた増えていけば…、そこで「空」ということを、改めて考え直してみた、つづく…。
(米永20240925)