《歴史 》
102歳 田尻さん証言 第六垂水丸遭難事故を語り継ぐ学習会
「65年目の証言」足立昇さんの紙芝居も初披露
『第六垂水丸遭難事故』を語り継ぐ学習会が、2026年2月22日、垂水市立図書館で開催され、19歳の時に同事故に遭遇、大正13年生まれ102歳の田尻正彦さんが、九死に一生を得た生々しい体験談を語った。
また、「第六垂水丸遭難事故」をとりあつかった「65年目の証言」という足立昇さんの紙芝居が初披露された。
主催は垂水史談会。
瀬角龍平会長があいさつし、「昭和16年の太平洋戦争から終戦まで」の歴史を振り返って解説。
足立氏の紙芝居は、足立氏と垂水史談会により共同で文章が整理された。
第六垂水丸は出航五分後、転覆して五百人以上の犠牲者を出しました。これほどの、大惨事であるにも関わらず、この事件は闇に閉ざされ、歴史から消えようとしていました。
しかし、東海大学の水島教授は、こんな大切な事を歴史の闇にほうむつてはいけない。新たな事故を防ぐため、平和な国のため、この事故を経験したひとたちの話を残していかなくてはいけない。と多くの人たちに呼びかけヽそれに賛成してくれた人たちが、次々と重い□を開き、当時の様子を語ってくれました…など、そのいきさつから始まり、藤野順人さん、福澤ワサ子さん、永田重則さん、川井田稔さんらの証言が紙芝居として紹介された。
田尻さんは、鹿屋市北田のバスセンターから三州バスに乗って垂水まで行き、大勢が乗る中で一番最後に飛び乗って甲板の上に立っていた。
船のエンジンがかかって進み、下を見てみると、海水が入り込んできていた。しばらくしてひっくり返り甲板からうっ出され、中にいた多くの人たちは出てこれなかった。一番最後に乗ったので、桟橋までは20m位、伝馬船が助けにきたが「わけもんな泳げ」と私の前を通っていった。
桟橋までたどり着き、浜にいると海軍さんが来て救助に当たった。死んだ人を、国防婦人会の人たちがムシロに並べていた。
周りに人が集まってわっぜかった。2月で寒い時で、私は連れていかれ風呂に入った。海のほうに戻って、バスに乗って帰ったが、古江坂では木炭バスだったので、裸足で押して坂を上がった覚えがある…など語り、会場からは「何人くらい生き残ったんですか」などの質問もあった。
会場となった垂水図書館では、24日日まで『第六垂水丸遭難事故』を語り継ぐ「展示会」も開催され、第6垂水丸遭難事故に関する写真、遺品や新聞記事のほか、紙芝居『65年目の証言』が一部展示された。


 (1)_00027.jpg)













































カナザワ様 7月例会_250708_10_1024.jpg)
女性ナイトセミナー.jpg)



