《雑草 》
選挙を重ねるたび少しずつ、あるいは急展開で変わるのか
衆議院に加え、参議院まで少数与党となり、自民党内から求められていた両院議員総会が近日中に開かれるという。
各報道、ネット情報も含め、今後の政局がいろんな形で取り沙汰され、特に「石破おろし」という内容もかなり情報としても流されている。
先日の石破総理と総理経験者の会合では「とにかく今の政局を乗り切る道筋を決めないといけない」という。
そしてポスト石破としての数人の名前も挙げられての報道もある。

写真=自民党HPから
中堅議員の中には、「危機感が募っている、この選挙の結果で誰かが責任をとらないといけない」という。
総理と総理経験者との会合にしても、「総理の首を挿げ替える」という形で話し合いが進めれているとしたら、それは少し違うと思う。
危機感が募っている…というのは、国民に向けての言葉でなく、自分の選挙が危ない「危機感」というふうにも聞こえる。
総理経験者らの「今の政局を乗り切る」という中身も、選挙の顔としての総理を誰にするかということで、これも国民のほうに目は向いていないのでは…。
歴史を振り返り、過去にあった第三極という場面を報道で取り上げ、下野しても自民が政権を担い続けてきた、時の総理や第三極のメンバーのことも紹介しているが、今のこの現況とは違い、比較になりにくいのではと思う。
選挙自体の投票率が地域によっては30%台だったり、40%台、過半数が投票をしない選挙も続いてきて、ここ数%~十数%投票率が上がったことでこれだけ動いた選挙は何だったのか、ネットが大きな役割果たしたが、それは何がどういう形で動いてきたのか、そうしたことが論じられることなく、旧態依然とした形で政局を動かそうとする。
あるいは旧勢力という言い方が良いかは分からないが、そこと新勢力、国民民主や参政党との新たな連立という形はどうかなどの報道もされるが、そうした議論が党内で繰り返されているとするなら、それもどうかと思う。
この国はどこへ向かおうとしているのか
国民の求めている政治とは何なのか、今までは政治にしらけ、あるいは諦めていた約半数の国民の国民がいて、反面組織を使ったりしその投票してきた人たちの中で得票を重ねてきた選挙が長く続いてきたが、これからは、おおげさに言えば、これまでとは異次元のスタイルで選挙戦が繰り広げられていく…。
一過性の現象と言われるかもしれないが、新聞やテレビという選挙報道のスタイルではなく、個々人が好きに発信でき、あるいは、好きな場面を切り取って勝手に発信する時代、これはますます増幅していくのだろう。
国民が不安に思っていることに対し、この国の未来をしっかり発信し、それが自然な形で増幅されていく。
反面党内や派閥で云々ということが続けられていくとしたら、政局を乗り切る道筋はつけられないだろうし、危機感は、国民の中でさらに募るのだろう。
この国はどこへ向かおうとしているのか、選挙を重ねていくたびに、少しずつ、あるいは急展開で変わっていくのだろうか。
ネットの影響も含め、投票率が上がれば上がるほど、そうした傾向が強くなるのだろうか。
過半数も投票しないという選挙から少しでも早く脱却していく、投票の義務でなく、権利としてちゃんと行使し政治を自分たちのものとして感じてもらいたい、そう思う。(米永20250731)