2024年08月03日 17時22分

《雑草 》

ピンチでバタバタせずチャンスは何らかの機会がある

 7月28日午後40分ごろ福岡県柳川市沼長南町の農地に小型ヘリコプターが墜落した。ヘリは炎上したが50分後には火は消し止められ機体から2人の遺体が見つかった。

 ヘリコプターを運行するエス・ジイ・シ佐賀航空によると何れも男性で操縦士(43)と整備士(70)が乗っていたと言う。
 国土交通省は航空事故と認定し運輸委員会の調査委員を派遣して事故原因をなどを調べると言う。

写真=肥田大尉らがグアム島から脱出した夜間戦闘機

 佐賀県当局などによるとヘリは午後3時50分大分県日田市のサーキット場離陸し佐賀空港に着陸予定時刻は約20分だった。
 ヘリのパイロットから管制官に佐賀空港に向かうとの交信ありその後途たえた。佐賀ヘリは2008年制で米国のロビンソン社製で4人乗りで7月18日地に航空法でさだめられた検査を終えたばかりという。

 サーキット場では27日から28日に車の耐久レースが開かれており、来場者をヘリに乗せて上空を3分から5分間に遊覧飛行を実施されていた。
 両日で計25回飛行したと言う。墜落現場は佐賀空港東に約数6キロ有明海沿い分かれた田んぼが広がる地域で現場は普段はこの辺りは全然人が通らない、少し先に民家があるこの様な事故があれば怖しさを感じると言う。

 伊豆諸島の鳥島東方海域で海上自衛隊のSH60K哨戒ヘリ2機が訓練中に、空中衝突したことが明らかになった。
 訓練そのものはシビアであり無線も照明も一切発せず点灯せず、漆黒の闇夜の中での索敵訓練であったと言う。
 通信遮断をして、索敵訓練をし敵艦を確認しても我が国の艦船に攻撃する姿勢を確認した場合、撃沈する方向性が整っているか確り確認しての実戦さながらの厳しい訓練をして、練度を上げることはやぶさかでは無い今回の様なちぐはぐな訓練で若い搭乗員を失いたくない。

意志の疎通が確立しておれば絶対防げる

 起きた事は今後の教訓として今後如何にしたら確実に成果を上げるか、机上訓練をして錬度を上げ訓練作戦実施官は部隊は違っても、海域が複合している場合お互いに確認して縦横の連絡は何らかの形で、意思の疎通はせねば貴重な人材の犠牲を生む。

 訓練実施も実戦さながら意思疎通が影響する。海上自衛隊の大量の処分が発せられたが、この様な状況下では正直者が馬鹿を見る哀しい犠牲者を生む。今回の友軍同士の損傷は意志の疎通が確立しておれば絶対防げると思う。

肥田真幸氏のピンチからチャンスに継げる、一節を引用

 さて墜落事故の痛ましい事故は胸が痛みますが、旧軍の天山雷撃隊の著者・肥田真幸氏のピンチからチャンスに継げる、一節を引用しながら記述してみたい。
 氏は戦後、海上自衛隊の空団司令官(海将)をして後輩の飛行機乗りの厳しさを啓蒙して、郷里の鹿屋で悠々自適の晩年を過ごした。

 氏がグアム島で最後に残った愛機天山に夜間サイパン周辺に艦船攻撃に出発させたが未帰還機になった。天山攻撃隊は隊長機の搭乗員3名を残して全滅した。
 天山攻撃隊の再建はサイパン沖の決戦で部下の殆どを失い、我一人生き残るここに至っては最早再建は不可能である。

 天山電撃隊長として華々しく戦死できなかったのは残念であるが、優秀な部下の奮戦で悔いのない戦いを存分行なえたのがせめてもの慰めである。
 飛行機も本隊もなく宿無し搭乗員の悲哀を感じ、数日後には此処グアムにも米軍は上陸して来る。

 整備員達も続々陸戦隊に編入され山手の方に移動した。私達は偵察員と電信員の三人の死に場所を探せばよい気楽さはあるが、あちこちの部隊をさ迷い一宿一飯を請わなければならない。
 何処でも良い顔をしない飛行場の指揮所にいると握り飯が戦闘配食として配られるが、これは迎撃戦闘機搭乗員用であり毎度の事で気が引ける。

技量もありながら玉砕するには忍びない

 玉砕するにしても最後まで抵抗する場所探しを調べておく。サイパン島も殆どが占領され生き残った搭乗員は潜水艦が夜間秘かに内地に返される。
 残される我々に厳しい表情を見せるが内心の喜びは隠せない。我々戦地の生き残り組は潜水艦には収容してくれない。

 心中では小部隊小機数ながら奮戦し戦果を挙げたい、技量もありながら玉砕するには忍びないと瞑想にふける。
 突如偵察員の吉田上等兵曹が隊長と叫んで、夜間戦闘機1機が椰子林に放置してあります所属・搭乗員は共に不明です。

 よしそれで脱出しようと叫んで現場にいって見ると整備員が14~5人集まっている。先任の者にこの機体の持ち主も見かけたことはたことはないという。
 エンジンをやられていますから飛べる様にするには難しいと言う、此処は月光の基地だったので、皆で何とか飛べる様にしろ。若し飛べるように成ったら整備したお前達も一緒に乗せて脱出するぞと思わず大声を上げていた。

 本当ですかと整備員の目が輝いた。俺は攻撃251飛行隊長肥田大尉だ、嘘は言わん、人数はお前たちで終わりだぞ。20㎜機銃2基と弾薬等を外せば合計1tはある、人間を65キロとして15人は重量的に大丈夫だ。

 皆がやってみます…と。他に2機の中破の月光のエンジン及び部品を取り換え、出来なかったら陸戦隊で玉砕だぞ…。 

 やっと整備完了の報告を受け双発機だが乗れる。夜間飛行の困難性もあるが17名の命が掛かっている。試運転をしてみると調子が良く大丈夫だ。
 月光は背が高く胴体が長く15人なんとか乗れた。
 トラック迄6時間かる殆ど立ったままで辛抱できるか、今夜午前1時出発する、荷物は一切持ち込みならぬから身体一つで来い。

泰然自若として待つ事だ

 司令部に今生の別れに行く。薩摩郡入来の石神少佐は男泣きした、7月5日午前1時月光は離陸した。変針点到着右旋回450度ヨーソロ-、トラックに進路をとる。

 途中偵察哨戒機に会うが、機長は離脱行動をとっている偵察機は遠ざかった。無事目的基地に到着し奇跡の脱出を果たし整備員と喜びあった。此処で皆と別れ私は内地に別便で横須賀鎮守府に急ぎ次の指示を待つことにした。

 ピンチに際してバタバタせずチャンスは何らかの機会がある。泰然自若として待つ事だ、肥田氏の人生訓を学び、今景況は最悪だが、ピンチは何としても切り抜けチャンスを待つ事だ。(岩重20240803)

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