2024年08月01日 07時35分

《行政 》

「からすたろう」など素晴らしい絵本 八島太郎没後30年

故郷根占で開催~「道草いっぱい」の原型を訪ねる文学散歩なども

 令和6年は八島太郎没後30年にあたり南大隅町では7月28日、世界的絵本作家「八島太郎」没後30年事業が同町根占で開催された。

 没後30年の企画として、八島太郎のふるさと南大隅町根占で開催。太郎が伝えたかった子どもたちへの思い、ふるさとへの思いを感じることができるイベントとなった。

 八島太郎はふるさと根占を舞台にした「からすたろう」をはじめとする数々の素晴らしい絵本を描いた。
没後30年にあたり、こどもたちのために生み出された、絵本の中から「道草いっぱい」の原型を訪ねる文学散歩があった。

 命の尊さを描き続けた八島太郎が、移住先の米国で。「日本の子どものために」とふるさと南大隅町根占に思いを寄せながら集めた貴重な「世界の民芸品」の展示もあった。

 望郷の思いを胸に、八島太郎が大戦のわだかまりの残る戦後の米国で描いたのは、遠くはなれたふるさとでした。八島太郎が子どもたちに伝えたかったこととはなど。講演では絵本に込められた思いを感じとっていただければ幸いと企画された。

写真=鹿児島大学非常勤講師、池水聖子氏の講演も

 八島太郎は本名岩松惇で、1980年現在の南大隅町根占針馬場に医師の3男として生まれた。

 地元の神山小学校卒業後、県立第二中学校(現・甲南高校)から東京美術学校(現・東京技術大学)に進学。1939年絵の勉強のため、妻の智江と渡米。日米開戦後に日本向けの反戦ビラ・パンフなどを描き、米国で反戦活動を行った。

 戦後、米国の出版社から故国での体験に基づいた絵本を制作を始めた。1955年に「からすたろう」を出版した。神山小学校が舞台で、小学時代の体験が基になっており、絵本最高賞の「コルでコット賞次席」に選ばれ、世界的な絵本作家になった。

 その後に「村の樹」、「ももの子猫」、「あまがさ」、「海浜物語」など次々に制作した。

 1962年に故郷「根占」に里帰りした。この時の様子は「金色の村」という記録映画になった。米国で精力的に創作活動を続けたが、1994年6月30日に85才の生涯を終えた。

 事業は7月28日午前9時30分に神山小学校に集合し、地元の研究者らの案内で絵本「道草いっぱい」の道筋をたどる文学散歩が、ワークショップとして開催され、約50人が参加。

 八島太郎が学んだ神山小学校校庭で八島太郎について地元の松元研究者から説明があった。2班に分かれて絵本「道草いっぱい」を歩いてたどった。畳屋さん、写真屋さん、雄川などを巡り、最後に生誕地を視察した。

 参加者は解説者に質問したり、写真撮影していた。成人読書グループ「うのはな会」のメンバーが公民館で手作り「コンニャク」と郷土菓子「いこもち」を振る舞った。

 ワークショップが終わると根占図書館2階の南大隅町歴史民俗資料室で、八島太郎コレクションを鑑賞した。八島太郎が収集した世界の人形や、故橋田壽賀子作の連続テレビ小説「おしん」のモデルとなった八島太郎作「芽」の絵画が展示された。

 午後には、池水聖子氏が「子どもたちに伝えたい八島太郎・絵本の中のふるさと」の演題で講演した。池水氏は鹿児島県青年会館理事で、鹿児島大学非常勤講師。2001年から「地域再発見のための読書活動」を主宰している。八島太郎関係では、講演や絵本展示などを行い、シンポジウム等の事業も実施している。

 講演は、「村の樹」、「道草いっぱい」、「からすたろう」は八島太郎の絵本・根占3部作である。八島太郎の児童絵本はなにか。八島太郎の作家・絵本の動機について、ニーヨークでの講演の要約。八島太郎と石井桃子、さらに瀬田貞二についてなどの話しがあった。

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