《戦争と平和 》
戦後81年の今も「特攻」の歴史伝える司令部壕跡の保存を
鹿屋市に残る戦争遺跡の保存活用に関する要請書が、2026年8月4日、有志団体によって鹿屋市へ提出された。
これは、戦争末期に沖縄近海での特攻作戦を指揮した第五航空艦隊司令部壕が、鹿屋新生町に残されているが、入口周辺は人家も並び、シラス台地の中に造られているために普段は立ち入り禁止となっている。
戦後81年、戦争を知る世代が少なくなるなか、その歴史を後世に伝えるため保存して公開して欲しいと地元の有志でつくる「第五航空艦隊司令部壕を戦争遺跡として保存する会」(迫睦子会長)が市に訴えたもの。
第五航空艦隊は終戦半年前の1945年2月10日、特攻を主体とする部隊として編成され、その司令部が鹿屋市に置かれた。
2月28日には、総延長700メートル以上ある地下防空壕内に司令部が置かれ、作戦室である参謀室、作戦電話室、暗号室、電信室があった。
参謀室はコンクリート被覆され、他は済ラスがむき出しになっている素掘り、また一部は埋戻しされている。
特攻機からの信号を受信する電信室では、女学校の生徒100人が学徒通信隊として3交代で勤務したとされ、送られてきた暗号電文の受信・交換・解読をする暗号室などで、司令部の特攻作戦支援に貢献していた。
第五航空艦隊司令部壕を戦争遺跡として保存する会のメンバーは、鹿屋市平和学習ガイドら。
この日は、迫睦子会長が、次の要旨、要請文を読み上げ、市幹部に手渡された。
私たちは、鹿屋市に残る特攻関連をはじめとした戦争遺跡を案内する一活動に携わり、日本各地に残る戦争の痕跡を広く知っていただくための平和学習活動に取り組んております。
さて、鹿屋市には、戦争の実相を伝える貴重な遺構が数多く残されておりますが、その中ても第五航空艦隊司令部壕は、「沖縄戦における航空作戦の中心」「特攻作戦の指揮中枢」「南九州全域の航空基地を統括した拠点」として極めて重要な役割を担った場所として知られています。
沖縄戦においては連合艦隊司令長官(海軍総司令長官)をはじめ、多くの幕僚たちか滞在して作戦指揮を行うなど、大戦末期の帝国海軍の意思決定、作戦指揮の現場として、唯一無二の歴史的価値を有する場てもあります。
現在、地下壕は崩落の危険から立入禁止となっており、市として保存を考えていないとの意見も耳にします。
しかし、もしこの遺構を埋め戻すようなことがあれば、大戦末期の歴史の動きの中心となった現場のひとつが、永久に失われることになります。
3D測量などを行っても、それが実物としての遺構の代替にならないことは、考古学や歴史学等の専門家をはじめ衆目の一致するところあり、どんなに精緻な記録を取ったとしても、第五航空艦隊司令部壕か、失われることの損失を埋めることは不可能です。
一方で地下壕の保存は、世界にも例をみない大規模特攻作戦という大戦末期の歴史と記憶を次世代に伝え、全国、全世界と共有・対話するための基盤となるものてあり、今後、平和学習や研究・教育の場として、そして観光の場としても、測り知れないほどの価値を生み出していくことにつながると確信するものてす。
ちなみに、沖縄戦において作戦指揮の中核になっていた地下壕は全国に4箇所あり、現在全てが残っています。
うち特攻作戦全体に関わった神奈川県の連合艦隊司令部地下壕は慶應義塾大学が保存に取り組み、海軍と陸軍の橋渡しを担った沖縄県の海軍沖縄方面根拠地隊司令部壕はすてに整備公開されています。
また地上戦を指揮した陸軍第32軍司令部壕は、沖縄県が県史跡に指定し、現在保存公開のための整備を進めています。唯一、特攻機の出撃地に置かれた第五航空艦隊司令部壕のみが、保存公開の目途か 立っていない地下壕ということになります。
第五航空艦隊司令部壕の保存に向けての取り組みを進めるには、まず埋蔵文化財包蔵地として周知化することが必要になると考えます。
そのためにも地権者、及び県教育委員会との協議を進めていただきたいと思います。
あわせて、傾斜面、壕内の安定化工事(補強)のための調査も進める必要かあります。
それらの成果とこれまての学術的な調査の成果に基づき、県や国の補助金も活用しつつ、鹿屋市として主体的に史跡指定と保存整備に向けた取り組みを進めていただきたく存じます。
文化庁は、戦争遺跡を含む近代の埋蔵文化財の周知化に対し、平成10年通知において、地域において特に重要なものを対象にすることができるとしています。
また、令和6年報告ては、指定対象になるようなものを積極的に周知化していくべきとの指針も示しています。
第五航空艦隊司令部壕が地域において特に重要なものてあることは疑いを挟む余地はなく、史跡として保存する価値を十分備えていることもすてに広く知られているところです。
もちろん、戦争遺跡は「負の遺産」として評価が分かれやすく、文化財指定に至るまての合意形成が難しいとの指摘もあります。
しかし鹿児島県内ては、すでに南九州市の知覧飛行場が埋蔵文化財包蔵地として周知化されおり、第五航空艦隊司令部壕も、知覧飛行場と同様、保存に対する合意が得やすい場所てあると考えられます。
鹿屋市に残る戦争遺跡は、地域の歴史を耒来へつなぐ重要な資源であるとともに、世界とつながる窓口にもなり、かっ地域の発展の礎にもなるものです。
つきましては、今後、第五航空艦隊司令部壕を中心とした鹿屋市内の戦争遺跡の保存活用に対し、前向きなご検討を賜りますようお願い申し上げる次第です。
◇ ◇ ◇
鹿屋市はこれまでに串良基地の電信室として使われた地下壕と、敵の空襲から飛行機を守る掩体壕の2つの戦跡を文化財に指定している。












































カナザワ様 7月例会_250708_10_1024.jpg)





