《歴史 》
神武東征の不思議謎解きツアーで大隅半島の太古学ぶ
神武東征の不思議謎解きツアー半日コースが、令和6年3月31日、吾平山上陵からスタートして、計10ケ所を巡り、神武天皇御降誕から遡り、鸕鶿草葺不合尊などの大隅半島での歴史をたどった。
とりよろふおおすみが主催。
写真=吾平山上陵
写真=大川内神社
訪れたのは、吾平山上陵、大川内神社、飴屋敷跡、軍神社、八幡神社、鵜戸神社、神武天皇御降誕伝説の碑、イヤ塚、桜迫神社、西州宮跡。
肝等屯倉跡の碑、柏原と波見の神武天皇御発航伝説の碑、高屋神社に行く予定だったが、都合により桜迫神社で解散になった。訪れた場所の概要は次の通り。
写真=飴屋敷跡
写真=軍神社
吾平山上陵
神代三山陵の一つ。神武天皇の御父君、鸕鶿草葺不合尊と、御母君、玉依姫の御陵。岩屋(洞窟)の中には大小の2つの塚(御陵)がある。
また、御陵に向かう参道の左側には、大水害のあった明治3年までは、鵜戸六所権現があり、吾平総合支所横に仮宮として遷座されたが、そのままもとの場所に戻ることはなかった。
大川内神社
神武天皇のお后、吾平津姫が主神。神武東征に御子手研耳命(タギシミミ)を随伴させ、みずからは吾平の地にとどまり、ひたすら夫の神武天皇やわが子の御東遷・武運長久を御祈りになったという。
飴屋敷跡
海の神である豊玉姫は、出産時の姿を夫の山幸彦に見ないでとお願いしたが、約束を破られ、産んだばかりの鸕鶿草葺不合尊を残し海に帰った。乳飲み子を残された山幸彦の前に老婆が現れ、母乳の代わりに飴を練り与えた。その老婆の住宅跡と伝えられている。
写真=八幡神社
軍神社
軍大明神とも称され、祭神は磐長姫(イワナガヒメ)及び雷神と伝えられている。
八幡神社
明治4年に吾平山上陵参道横にあった鵜戸六所権現が水害にあい、市役所吾平総合支所横の八幡神社の場所に仮宮として移されたが、そのまま戻ることなく、もともとあった八幡神社はこの田中神社の場所に御遷座され村社となった。
鵜戸神社
明治4年に水害があり、市役所吾平総合支所の横に仮宮として御遷座されたが、もとは吾平山上陵墓の川向いに「鵜戸六所権現」として「既に天平の時代にも存在した」とあり、遷座まで約1300年前からずっと陵の前で祀られていた。仮宮として移されたものの元に戻ることはなかった。
写真=神武天皇御降誕伝説地の碑
写真=イヤ塚
神武天皇御降誕傳說地
玉依姫が産屋の棚を設けさせ、神武天皇を産んだとする水神棚の場所として伝えられている。
イヤ塚
胞衣(ほうい=胎児を包んでいた膜や胎盤)のことをこちらの言葉ではイヤといい、神武天皇の御生誕時にその胞衣を埋めたイヤ塚。
桜迫神社
旧宮下六所権現で、明治5年桜迫神社と改称。鸕鶿草葺不合尊と玉依姫、神代三代の神とその后神が祭られる。
神代聖蹟西洲宮(にしのくにのみや)跡
神武天皇の御父君、鸕鶿草葺不合尊の宮居(みやい=皇居)であり、神武天皇がご生育された場所とも言われている。
写真=桜迫神社で
写真=神代聖蹟西洲宮でお弁当広げ花見
神武天皇御降誕傳說地
玉依姫が産屋の棚を設けさせ、神武天皇を産んだとする水神棚の場所として伝えられている。
イヤ塚
胞衣(ほうい=胎児を包んでいた膜や胎盤)のことをこちらの言葉ではイヤといい、神武天皇の御生誕時にその胞衣を埋めたイヤ塚。
桜迫神社
旧宮下六所権現で、明治5年桜迫神社と改称。鸕鶿草葺不合尊と玉依姫、神代三代の神とその后神が祭られる。
神代聖蹟西洲宮(にしのくにのみや)跡
神武天皇の御父君、鸕鶿草葺不合尊の宮居(みやい=皇居)であり、神武天皇がご生育された場所とも言われている。