《戦争と平和 》
語り継ぎたい「鹿屋の記憶」 常設展に足を運んでね!
語り継ぎたい「鹿屋の記憶」展示コーナーが、2026年7月25日、鹿屋市観光物産総合センターで常設展として開設した。
戦後80年特別企画展で収集した鹿屋と関わりのある戦争の歴史などの資料の展示を行うことにより、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に継承するために、新たに展示コーナーを開設したもの
太平洋戦争と大きく関わっていた鹿屋、特に特攻作戦については中心地でした。その事実を物語る資料が展示されています。ぜひ、足を運んでいただき、平和について考える機会にしてください。…と呼び掛けている。
写真=大阪から訪れたというファミリー
主な展示内容
①写真パネル30枚
②映像
戦争体験者証言映像
(故)千玄室氏、立元良三氏、瀬戸口 ムツ子氏(計3人分)
・舞台「野里国民学校」ダイジェスト版
③野里国民学校ジオラマなど
25日には、開設式があり、鹿屋市平和学習ガイドと鹿屋市こども平和学習ガイドによる展示資料等の説明や案内もあった。
太平洋戦争時において重要な役割を果たした鹿屋第1海軍基地についての説明は次の通り。
太平洋戦争における鹿屋第1海軍基地の役割を紹介。
鹿屋会談
昭和16年2月、山本五十六連合艦隊司令長官から依頼された大西瀧治郎参謀長が志布志寄港中の航空母艦「加賀」の第一航空艦隊の源田實少佐と会談(鹿屋会談)し、真珠湾攻撃の作戦が出来上がった。
第五航空艦隊司令部
1945年(昭和20年)2月10日には、特攻を主体とした部隊、第五航空艦隊が編成され、陸海空軍の全航空部隊を統合するため、司令部を鹿屋に設置。同時に極秘裏に巨大な地下壕建設が進められ3月には司令部が移転していった。この司令部からは、宇垣纏司令長官らによって特攻機発信計画が実施された。当時女学校の生徒100人が学徒通信隊として3交替で作戦電話室の任務に当たった。
桜花
人間爆弾と言われた、特殊滑空機「桜花」の唯一の出撃基地。
一式陸上攻撃機の胴体に吊り下げられて敵艦に近づいたとき切り離された。桜花で55名が特攻して戦死した。
特別攻撃隊
出撃基地と特攻戦没者数
鹿屋 908人
知覧 439人
国分 427人
赤江 385人
串良 363人
進駐軍上陸の地【高須金浜海岸】
ポツダム宣言を受諾し9月2日ミズーリ号上で調印式のあった後、進駐軍が高須町金浜海岸に横浜や横須賀、館山についで本土上陸をした。
鹿屋市観光物産総合センター
鹿屋市西原3丁目11-1
営業時間
9時00分~17時00分
休館日
12月29日~1月3日
問合せ
TEL:0994-41-6111












































カナザワ様 7月例会_250708_10_1024.jpg)





