《雑草 》
日本人の主食と言われてきたお米を投機対象にしてはダメ
令和のコメ騒動の議論がヒートアップし、出口が見えにくい。
生産者、消費者、政治家、報道、評論家、それぞれの考え方、立場、主張があり、議論の中ではどれが正しいは、一概に言えないが、今のコメの高止まりは、やはりずっと続いた減反によるもの、そして小泉農相へ安売りのドンキが指摘したJAから小売店まで届くまでの5次問屋、これが本当かどうかは今、分からないが、そうした仕組みが存在するのからこの高止まりなのだろう。
また、農水省の需給予測が大外れだったのでは…との指摘もある。

関わる法律や組織等を調べてみるが、どうも複雑すぎてわかりにくい。食管法改正、民間流通米、米穀安定供給確保支援機構などが、どこでどう絡み合っているのか、その条文やシステムだけを見るだけでは、木を見て森を見ず的に全体像が見えないが、どうやって全体像を見るのか、そこを示してくれる何かも見えない。
指摘されているように、構造的に複雑に絡み合っているものを、根本的に、構造的に変えていかないと小手先の対策では、高止まり解消は一時なのだろう。
というより大手スーパー等、特に備蓄米は都会で流通するかもしれないが、地方には届かないまま、これまで地方で売られている価格が、そのまま継続されていくのだろうかとも思う。
どれくらいの規模なのだろう、ここまでお米の値段が高くなり変動していくと、分かりにくいが、例えばお米を1町作っている農家はどうなのか。
中山間地域で2反とか3反、自分の食べる分プラスαを作っている農家さんは、お米づくりの収支はトントンか少し余るくらいで、年金がなければ暮らしていけないという。
1~2町も作っている農家は、トラクターや耕運機、コンバイン、乾燥機など機械も持ち合わせ、その維持や苗代、様々な手間を考えると、経費は掛かるが、何とか食べていけるという形なのか。
それ以上の規模がないとそれなりの収入は見込めない、あるいは、兼業農家の兼業のほうで食いつないでいるというのが現状なのだろうか。
今の減反政策、米の流通システムは問題だらけなのか
減反政策については、人口減少もありお米を食べる人も少なくなり、それに合わせて減反していかないとならないという。もし増産というなら、海外への輸出を考えていかないとならないが、国は及び腰ではないか…という論調もある。
とにかく今の減反政策、米の流通システムに、何らかのメスを入れていかないと、消費者にも生産者にも、いい方向には向いていかないと感じる。
前大臣のままだったら、こうした議論にはならなかっただろうし、野党もいろいろ言っているが的外れだ。
もちろん生産者にとっては適正価格が必要だが、この備蓄米に関しては、2000円台という形をとったからこそ、特に米の流通システムが大きくクローズアップされた。
国民にも少し分かるようになったのか。
減反については以前から言われていたことで、これらが変わらないと、私たちは高いコメを買い続けることになる。
より厚く価格保障や所得補償を
一番問題なのは、日本人の主食と言われてきたお米が投機対象となることだと思う。
まずは、JAから小売店に届くまでの5次問屋があるとしたらこれを直で小売店に繋げ、さらに複雑になっている食管法や、民間流通米、米穀安定供給確保支援機構などのシステムを見直し、お米については価格保障や所得補償に予算をつけることで農家を守り、それが価格安定に繋がり、消費者にとっても買い求めやすい価格に繋げていくことだと感じる。
今、議論が高まっている中で、こうした方向へ与野党含め政治が向かっていかないと、既成政党政治へ対する不信感は高まる一方で、選挙にも大きな影響を与える。
1年たったら動物のえさになるようなもの…はあまりにもひどすぎる。
お米農家は全部ではないだろうが、お米用保冷庫、ストッカーを持っている農家も多く、そこで保管されているものは、備蓄米にせよ、エサには当たらないのだろう。
もっと言えば、大規模農家への支援もだが、中山間地農業について、より厚く価格保障や所得補償していくことで、耕作放棄地を減らし、農業後継者を育てていく形を、このタイミングでこの地域でももっと強く訴えるべきだと思う。高隈、国見、稲尾山系を持つこの大隅半島だからこそ。この国の根幹に関わること。
私たち国民も、こうした声をもっともっと挙げていくべきだと思う。単なる令和のおコメ騒動で終わらせないためにも。(米永20250602)