2025年12月31日 19時51分

《雑草(コラム) 》

この日本の黎明期の歴史が大きく埋もれている

 2025年はどんな年だったのだろう。今年の漢字は「熊」、その前は「金」「税」「戦」と続いたが、個人的には再度「戦」なのかなと思う。

 まだまだ続くロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争、スーダン内線、ミャンマー内戦など。

 ドローン等の攻撃で「戦い方」が大きく変わってきて、今後もロボットが利用さるなどで戦い方が変わる戦争が始まったこと。

 日本では初の女性総理が誕生したが、台湾有事、武器輸出、核兵器保有発言など「戦」をイメージさせる言動が続いていること…などなど。

写真=吾平山上陵周辺は神野中岳も含め神聖な地域として描かれている(聖蹟図志の鵜戸大明神)



 そうした思いが、ここ数回のコラムの内容に重なっている。
 ちょっと過度に反応しているのかもしれない。
 今、大隅半島の古代からの歴史を学んでいる中で、日本人の気質のようなものを感じながら、だからこそ「平和」ということに少し過敏になっているのだろうか。
 
 地域の自然や歴史について、少しでも詳しく調べていこうと思ったきっかけ、大隅学を始めよう!といろいろ調べ始めたのは、「地元学を始めよう」という吉元哲郎氏著書での水俣病を通しての体験、その次の言葉があったからだ(抜粋)。

持続的な取り組みを可能にするためにも…

 「水俣のことを、外の人たちが調べてくれた。でも住んでいる私たちは詳しく知らなかった。
 
 だから下手でもいいからまず自分たちで調べて、どうしてそうなのか考え、いまに役立てていこう。

 そのためにはまず自分たちで調べないとだめだ。自分たちのことは自分たちでやるという力を根本に据えない限り、持続的な取り組みは不可能だ。」
 
 また「調べたものしか詳しくならないことに気づいたのは一つの転換点。自分で調べないと詳しくならず、したがって気づきが共有できず、自分の行動が結び付かない。

 例えば、水俣病の研究で多くの人たちがやってきたが、その人たちだけが詳しくなり、住んでいる私たちは水俣病のことに詳しくならなかった。

 だから多くの水俣病患者が苦しんでいるのに傍観者になり、中には偏見の目で見る人たちもいました」というような内容。

自分の中の気づきをもっと周りと共有できれば…

 情報を発信していく身としては、特に単に知識を伝えるだけの傍観者とならないよう、全てを回ることはできないので、取材の合間でまずはこの地域の自然、そして歴史を少しずつ伝え、そして日々の出来事を自分で足を運んでみて伝えている。

 この大隅半島の古代の歴史は、この日本の黎明期に大きく関わっているのでとても面白い、それが埋もれている。

 今後は、自分の中の気づきをもっと周りと共有できるよう、自然や歴史以外、日々の取材も視野を広げていきたいと思っている。
 それが、この地域の活性化、すぐさま結果が出るようなことではないのかもしれないが、今住んでいるこの地域に誇りが持て、光がさしていくように…。

 紙媒体からWEBになって3年。
 全国にある地方紙、地域紙とも連絡を続けているが、紙媒体の新聞は大きな岐路に立っていて、同じような立場の地域紙、離島の新聞社も大変のようだ。

 情報産業を取り巻く現状の中、まだ模索の状態ですが、今年1年のご愛読、本当にありがとうございました。
 良いお年をお迎えください。(米永20251231)

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