《雑草(コラム) 》
DEEP OOSUMI 大隅半島を深掘りする…
明けましておめでとうございます。2026年午年もよろしくお願いいたします。
昨年末からこの欄で、大隅半島の歴史のことをほぼ私見で書いてきた。日々大隅半島をぐるぐる巡る中で、史跡や遺跡を見て、その文献を読んで、いろいろ調べ、これまでずっと感じ、最近特に思うこと。
それは、大隅半島に住んでいる人たちからの文化や歴史の発信がそこまで多くなく、県外や都会の人たちから見た大隅半島と、自分の目で見て体感し調べてきたこととはちょっと違う。史実に反しているこの地域の歴史認識やその文化が伝えられいるのでは…という思い。
そう感じておられる方も少なからずいらっしゃるのではないかと思う。
その上でさらに、この地域にある古墳や陵の歴史、ひむか神話を学んでみて、古事記や日本書紀(記紀)や続日本紀、延喜式の中でのこの大隅半島、大隅隼人族等の役割を考えてみる。
写真=2020年8月 国見山頂の高屋山上陵跡の鳥居を建て替え
前回書いたように「地元学」というもの…、学者やコンサルの言葉や手法、有名人を呼んできてこの大隅半島を語ってもらっても、その時はいいが、残るものが少ない。
自分たちで調べ自分たちのものとして発信しないと、シビックプライド、地域の誇りは持ちにくいということなのだろうか。
特に、倭国から日本という時代、日本という国が形作られたときの大隅半島の歴史は、古来からずっと埋もれたままではないか。
そういったことも含め、昨年末にいろいろ書いてきたことを今年はさらに、深めて書いていけたら…と思っている。
大隅半島にある山々、高隈山系はじめ、国見、稲尾山系、それぞれ固有種、南限の植物があったり特徴があるが、古来から山伏など修験道、山岳信仰の対象だった。
それは自然の豊かさや恵みを感じながら修行をしていく、宗教的なものもだが、より神聖なもの。
写真=神仏習合 神聖な山上の陵跡前に有志が改めて建立
少しマニアックな文章になるが、前々回書いたこの地域の「天台の別当寺」「真言宗の末寺」。
いろいろ調べていくと、縄文文化の影響を受け八百万の神のいた倭国。
そこに飛鳥時代、仏教が日本へ渡ってきて、日本独自の神仏習合という文化が生まれ、平安時代末には「草木国土悉皆成仏」という天台本覚思想が生まれたとされている。
草木国土悉皆成仏という思想
これは天台宗と真言宗とが合体した天台密教の思想、人間や動物はもちろん、草木や国土も仏性を持ち成仏できるという自然崇拝をベースにした思想だという。
「天台の別当寺」は吾平山上陵(鵜戸六所権現)、「真言宗の末寺」は五代寺(瀬戸山神社・高隈権現)でのことでもあり、大隅半島でも古代からその文化が受け継がれてきたのだろう。
四季折々の豊かな自然の中、五感で感じての草木国土悉皆成仏。
全国各地でも、歴史の中でそうした文化が発信されてきたのだろうと思うが、この世相で何を伝えたいかというと、そうした日本人の精神のようなもの。
多元的に受け止めて文明化していく共存の精神
一方で仏教を変容させたほどの日本独自の思想が続いてきたた江戸時代までの多神教的世界、入ってきたモノや文化を多元的に受け止めて文明化していく共存の精神。
他方で明治維新で西欧文化が組み込まれ、一神教的で好戦的な人間中心主義の社会。
薩摩藩も大きく関わり、加えて鹿児島で激しかったと言われる廃仏毀釈も相まって、その精神が大きく変容され、人々の心の拠り所のようなものも変わり、価値観も大きく変化した。
大隅半島の古代の歴史学び平和を考える…
そして戦争の世紀と言われた20世紀だったが、21世紀の今また、どうなのだろう。
そうしたことを考えてみる日本人のルーツのようなもの、吾平山上陵や高屋山上陵などを調べ深掘りしていくと、少しずつだが、その歴史の深さも感じ、その役割と関わりに思いを馳せてしまう。
特に今のこの世相で、平和ということを強く意識しながら…。
そういいったことも、この欄で書いていけるような2026年にしていきたい。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。(米永20260101)














































カナザワ様 7月例会_250708_10_1024.jpg)




