2025年09月09日 05時26分

《戦争と平和 》

不戦平和を願い 進駐軍高須上陸を語り継ぐ

 昭和20年9月4日進駐軍高須上陸を語り継ぐ会が、2025年9月4日、高須町民会館で開催された。

 主催は高須町内会

 太平洋戦争も戦後も、鹿屋から始まった…。
 開戦の「真珠湾攻撃」に向けての戦略会議がなされたのが鹿屋の海軍基地であったこと。
 戦後の「進駐軍上陸」がなされたは、鹿屋の高須海岸であった…という史実からであり、戦後間もない、昭和20年(1945)9月4日、進駐軍が高須に上陸。

 高須の先輩たちが、この日を忘れぬよう、不戦平和を願い、上陸の地に記念碑を建立、また語り継ぐ会も毎年、9月4日に開催している。

写真=高須国民学校の生徒であった野村睦弘さん(90歳)

 この日は、上原義史町内会長が、進駐軍上陸時の金浜の様子、米兵の移動時などの多くの写真が披露され、当時の高須国民学校の新弘(しんひろむ)校長(当時35歳)は、進駐軍上陸の様子を裏山に潜んで観察、それを回想録『昭和の陣痛』に書き残していることなど紹介。

 その時の高須国民学校の生徒であった野村睦弘さん(90歳)と上迫ミキ子さん(89歳)らが、当時の生活や避難した防空壕などの話をした。
 また、会場の参加者にマイクを回し、終戦当時の高須の様子や、親や家族から聴いた話をし、平和の尊さなどを伝えた。

写真=語り部活動を続けている立元良三さん(95)

 記念碑建立の中心的役割をし、戦争を語り継いできたてきた山下修二さんの娘、朝倉直子さんは、「父は、3度召集されて陸軍で通算8年過ごし、亡くなる直前まで戦友の夢を毎日見ていた」などの話をした。

 進駐軍に友好の花束を贈った女学生、中原敦子さん(旧姓若松・昭和3年生まれ)の三女の武田久美子さんや、当時15歳で、教師退職後埋もれた歴史を次代へ引き継ぎたいと、進駐軍が上陸したことなど語り部活動を続けている立元良三さん(95)なども当時を振り返って話した。

 また、市内外からの参加者、初めて参加した戦争を知らない世代からも、終戦直後に鹿屋市のこうした歴史があったことに対し、「身近なところに終戦のこうした歴史があったのを初めて知って、もっと勉強したいと思いました」「こうした戦争の歴史を知ることで、平和の尊さ、大切さをもっと発信していくべき」など語り、学び合っていた。

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