2024年10月23日 18時41分

《雑草 》

利他の心、「道」の精神、南洲翁の哲理

 今年7月だったが、三重県でお寺の住職をされていたが、お寺をお弟子さんへ引き継ぎ、今は、霧島市を拠点に、鹿児島など隠れ念仏保護など活動しておられる熊谷深信さんを紹介され、お会いしていろいろ話を聴いた。

 浄土真宗を厳しく禁止していた薩摩藩、今、地域の中で管理できていないところも多いようで、三重県の人がわざわざマンスリーマンションに住み鹿児島と行き来しながら保護活動される姿に感動したことを思い出している。

 その隠れ念仏というと、幼少時に郷里の鹿児島で祖母の「隠れ念仏」を行う姿を見て宗教に関心を持ったと言われる稲盛和夫さん。
 2001年の日経新聞「私の履歴書」を引用した文章を目にしたことがあったので紹介すると、

 「戸口で四弘誓願文というお経をあげ、お布施をもらう。慣れない托鉢を続けていると、わらじの先からはみ出した指が地面にすれて血がにじんでくる。
 道の落ち葉を掃除していた年配のご婦人が寄ってきて、『大変でしょう。これでパンでも食べて下さい』と百円玉を恵んでくれた。

 それを受けた時、私はなぜか例えようのない至福の感に満たされ、涙が出てきそうになった。全身を貫くような幸福感、これこそ神仏の愛と感動した。
 私は『世のため人のため尽くすことが、人間として最高の行為である』と言い続けてきた。
 善きことを思い、善きことを実践すれば良き結果を招く。悪いことをすれば悪い結果を招来する」。

 もちろんそのご婦人は、稲盛さんということが分からないでお布施をされたのだろう。

義を見てせざるは勇なきなり、勇ありて義なきは乱を為す

 例えようのない至福の感に満たされた瞬間、これこそ神仏の愛と感動、その根底には「利他の心」があるという。今はそれが、どこかに置き去りになっているような今の社会。

 また、利他の心と言うと「メザシの土光さん」で親しまれ、鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」を成した第二次臨時行政調査会長の土光敏夫さん。
 「個人は質素に社会は豊かに」という言葉を訴えた。

 言葉遊びと言われるかもしれないが、そこには武士道のようなものを感じる。
 新渡戸稲造は、義と勇、礼や仁など武士道の徳目について述べ、特に大事なものは、流されずに正義を守る勇気を持つ者こそが、真の武士だとした。
 
 「義を見てせざるは勇なきなり」、そして「勇ありて義なきは乱を為す」。
 今、世界各国で紛争や戦争が絶えないが、それは、勇ありて義なきは乱を為す…という状態と言えないか。

 権力や武力を持つ者こそが、私事へ存念するようなことでなく礼節や質実を尊ぶ。

地に落ち平和の熱烈な希求が強く叫ばれているとき

 そして山岡鉄舟は、「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念」を武士道とした。

 そこには、日本人の精神的な土壌が武士の生活態度や信条を生み、その底辺には、仏と神を一体で不可分とする神仏習合や、人間のみならず、動物、植物、更には山や川の自然までも仏性を内包している世界観、宇宙観に繋がっているのでは…と考えたりする。

 そして手元に、薩摩士魂の会編の「薩摩武士道」という本がある。
 「南洲翁遺訓」と「日新公いろは歌」の解説が日本語と仏語、英語で記してある。

 そこでは、
 世界の人心とみに地に落ち平和の熱烈な希求が強く叫ばれているときに、わが薩摩士魂の会として、南洲翁の哲理こそ今やまさに世界人類にとって最高の指標聖典となる書であることを信じ、ここに「南洲翁遺訓」を英・仏語に訳し、世界の有識者に心をこめてお贈りして、世界平和の一助にならんことを願うものである。
 と記してある。

 利他の心、日本人の持つ宗教を超えた「道」の精神、南洲翁の哲理、日本人であり鹿児島に住む私たちが、平和のメッセージをもっと発信していくべき…。
 大上段からの物言いのようになってしまったが、この本を手にし、切にそう思い願う。(米永20241023)

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