2026年02月22日 05時35分
《政治・行政 》
狩猟時代からの歴史物語るしか祭り 鹿屋市七狩長田貫神社
七狩長田貫(ななかりおさたぬき)神社、通称「田崎神社」のしか祭りが、令和8年2月17日、開催された。
狩猟時代からの歴史を物語る祭りで、狩長の狩猟の範囲を確認するため、その領域の要所要所を祓い鎮めて歩く祭り。
最初の御旅所は、打馬の早馬(はやま)どん。
田崎神社から神輿が運ばれてきて神事があり、田崎神社境内に自生している萩の幹から作られた弓と矢を授かり、打馬地区の楠原康二町内会長や、田崎神社の吉留孝一氏子代表、田崎地区の前ケ迫清孝町内会長らによる玉串奉てんがあり、神事のあとは、両地区氏子らによる直会(なおらい)でお互いの親睦を図った。
次の旅所は祓川で、同じく弓と矢を授かり、神事では、西祓川地区の福永勝町内会長、下津良人保存会会長らにより神事が執り行われ、大浦の御旅所でも神事が行われた。
しか祭は、神農(しんのう)渡御祭とも言われ、この渡御祭が終わらないと猟をしてはならず、また農民は藁仕事、婦人は糸紡ぎなどを慎む習慣が伝わるという。
七狩長田貫神社は、別雷命(わけいかづちのみこと)を主祭神とする神社で、雷は雨をもたらすことから作物を成長させる農業の神、または狩猟の神ともいわれ、昔から崇拝されてきた。
創建は詳らかでないが、上古伊勢国の住人田丸玄蕃が負い下り当地に勧請したと伝わる。
また一説に、永徳三年山城国賀茂神社を分神したともいう。
祭神は賀茂神社と同じで、社殿造立の棟札に、永正元年甲子十一月十五日伴朝臣兼明の再興とある。
















































カナザワ様 7月例会_250708_10_1024.jpg)
女性ナイトセミナー.jpg)



