2026年10月31日 20時14分

《おおすみ雑記 》

高屋神社と高屋山上陵、その歴史を大事に思う人たち…

 高屋神社例祭 秋祭り豊穣大漁祈願が、このほど、肝付町内之浦地区の高屋神社などで開催され、銀河太鼓の復活や、高谷陣屋の歴史と国見の山々と題する紙芝居も行われた。

 同神社は、第12代景行天皇が創建したと伝えられ、南九州に居住していたとされる熊襲を征伐するため天皇自らこの地を訪れ、国見山頂にある高屋山上陵に祀られている彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を勧請し、高屋神社を創建したとされている。

 ひむか神話の中での物語だが、高屋山上陵は、古代から江戸時代まで地域の人たちが守り大切に祀られてきたものの明治7年に溝辺に移された。
 とても残念なことだが、令和2年には、国見山頂に祠等が残され鳥居もあったが、少々傾いていたので、有志により建て替えられた。

 そうしたこともあり、地域の人たちも含め、高屋山上陵をお参りする人たちがいて守られている。

 そんな中での高屋神社例祭と、豊穣大漁祈願の第1回高屋神社秋祭りがあり、地域の歴史や文化、伝統を守っていきたいという人たちの間での様々な取り組み。

 最近は、自然災害やAIなど、何が起こり何が始まるか分からない時代になってきたが、私たちが暮らす上で、先人たちが守ってきたことを大事にしていく風潮が薄れてきているような気がする。
 それは少子高齢社会、人口減少でやむを得ないこともあるが、それでも地域の中で何かを見い出そうとしているエネルギーがあったりする。

 その地域の自然や歴史を大切にしないところは、何か大きなことが起こった時に足元をすくわれるような気もするし、何を発信するか…は、そうしたことを大事にしていることに強みがあると思ったりもする。

 高屋神社は、高屋山上陵の里宮でもあり、鹿屋市にある吾平山上陵は、初代天皇神武天皇の御父、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、御母玉依姫の御陵で、その鸕鶿草葺不合尊の御父が高屋神社に祀られている彦火火出見尊(山幸彦)。

 初代神武天皇は、肝属川河口から神武東征されたと伝えられており、神代2代と初代天皇の3代の歴史の一端は、この大隅半島にもあるのだ。

 また、山幸彦の兄が海幸彦で、隼人の祖と言われており、大隅隼人や阿多隼人のルーツでもある。

 高屋神社例祭の4日前には、例祭と祭り成功祈願で、国見山頂にあるその本宮でもある高屋山上陵にお参り、それに同行した。
 こうした歴史や伝統を守っていく活動、地域の中でもっと大切にして欲しいと願うし、そうした取り組みをまた伝えていきたい。(米永20261031)

最新の記事

合計 3758 件中 1ページ目を表示

カテゴリ最新記事