《戦争と平和 》
特攻作戦の指揮中枢として機能 歴史的にも極めて重要
「第五航空艦隊司令部壕の歴史を知る」講演会と見学会
「第五航空艦隊司令部壕の歴史を知る」講演会が、令和8年10月4日、鹿屋市立西原地区学習センターと、鹿屋市新生町にある地下壕の見学会も開催され、多くの市民が、司令部壕は沖縄戦における航空作戦の中心であり、特攻作戦の指揮中枢として機能した、歴史的にも極めて重要な場所であることを知り、また再認識した。
主催は、第五航空艦隊司令部壕を戦争遺跡として保存する会
写真=司令部壕の中を見学
写真=この司令部壕は沖縄戦における航空作戦の中心である…などと話す安藤氏
鹿屋市には、戦争の実態を伝える貴重な遺跡が数多く残されている中でも、重要な役割を担った「第五航空艦隊司令部壕」の存在は、まだ多くの市民に十分知られていないのが現状。
そこで、この保存する会は、今年8月には迫代表らが市役所を訪れ、要請書を提出。
要請書では、第2次大戦末期の帝国海軍の意思決定、作戦指揮の現場として、唯一無二の歴史的価値があり、主体的に史跡指定と保存整備に向けた取り組み、埋蔵文化財包蔵地として周知化と壕内の補強のための調査などを求めている。
沖縄戦の特攻作戦は,慶應義塾大学日吉キャンパスに置かれた連合艦隊司令部の指揮のもと、鹿屋の第五航空艦隊司令部が中心になって作戦が実行されており、その慶應義塾大学文学部民族学考古学研究室の安藤広道教授は、これまでも鹿屋市の戦跡の調査に訪れ、その中でもこの司令部壕の3Dスキャンを行うなど、その歴史的価値を深める活動をしており、今回の講演会と見学会となったもの。
写真=司令部壕の保存を強く求める迫代表
この日は、保存をする会の迫睦子代表があいさつ。
安藤氏は、「第五航空艦隊司令部壕の歴史を知る」として、同司令部壕の詳しい年表を示しながら、次の概要で講演した。
▽鹿屋航空基地設置から航空特攻作戦の開始まで
海軍航空隊の誘致と鹿屋市の誕生
戦争が始まった場所としての鹿屋
特攻作戦の開始と特攻への依存のはじまり
▽第五航空艦隊の編成と沖縄戦における特攻作戦の展開
特攻作戦のための部隊編成
沖縄戦の展開と特攻作戦
特攻作戦の指揮・命令の中心としての第五航空艦隊司令部壕
▽第五航空艦隊司令部壕はどんな遺跡なのか
第五航空艦隊司令部壕の調査成果
沖縄戦でつながっていた4つの地下壕
特に、満州事変や盧溝橋事件で、日中戦争本格化し、鹿屋航空基地設置され海軍鹿屋航空隊が創設。
渡洋爆撃、重慶爆撃に鹿屋航空隊参加。
1941年2月に、 大西瀧治郎参謀長ほかによる真珠湾作戦の極秘会談、鹿屋会談があり、錦江湾にて訓練を実施。
ミッドウェー海戦での大敗、マリアナ沖海戦で連合艦隊の空母機動部隊がほぼ壊滅。
サイバン島陥落、連合国軍がフィリビンレイテ島に上陸。
そしてフィリビンルソン島のマバラカット基地から神風特別攻撃隊初出撃。
鹿屋航空基地整備があり地下壕建設されたこと、その歴史的重要性などを説明し、日吉、鹿屋、沖縄には沖縄戦でつながっていた海軍・陸軍の司令部壕が残っており、鹿屋の司令部壕の歴史的背景や当時の状況について文化財としての価値を考え、その保存や活用など専門的な視点から解説した。
会場からは、「鹿屋での報道班員だった川端康成があまりこのことに触れていないのが、その存在を閉ざしてしまったことの一因でもあるのではないか」「壕の存在を初めて知ったが、もっと声を上げ保存をお願いしたい」「国が起こした戦争でもあり、その保存は国の責任でもあり国費ではできないのか」などの質問もあった。
新生町にある地下壕は、崩落の危険等から立入禁止となっているが、その歴史的価値は失われるものではなく、まずは知ることから始め、地域の歴史を正しく理解し、未来へ伝えていくことが大切だとして、許可を得ての見学会もあった。
この壕については、鹿屋市議会9月定例会の一般質問でも取り上げられ、現時点では構造物としての保存は考えていない…などの見解が示されている。












































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