2023年12月18日 15時34分

《トピックス 》

コガネセンガン生みの親 坂井健吉氏に献花

酒精、でん粉産業の発展に多大なる寄与

NPOカラー芋ワールドセンター主催

 黄金千貫(コガネセンガン)生みの親の坂井健吉氏が98歳で、令和5年7月1日逝去されたことを受け、10月5日鹿屋市浜田町のカラー芋ファクトリー前にある坂井健吉先生記念公園で、関係者らが献花を捧げた。NPOカラー芋ワールドセンター(郷原茂樹理事長)主催。

写真=写真=郷原理事長が花束を献花

 坂井氏は、三重県伊賀市出身。大正13年8月22日生まれ。昭和23年京都帝国大学農学部を卒業、農林水産省農事試験場にて、サツマイモ(かんしよ・唐芋)の品種改良に20数年間従事。
この間、サツマイモの収量とでん粉含有量に関する遺伝的特性を解明して、母木養成、組合せ能力検定、交配採種の育種法を開発し、新品種「コガネセッガン」を育成した。

 コガネセンガンの育成普及は、九州とくに南九州(鹿児島県)の酒精、でん粉産業の発展に寄与するところまことに大なるものがあった。

写真=写真=坂井健吉先生記念公園で献花式

 また、坂井氏は、NPOカラー芋ワールドセンターの顧問でもあり、同NPOが中心になって、日本、中国、韓国の三カ国の唐芋関係者によって設立された東アジア唐芋友好協会活動にも積極的に参加。
国内外でのイベントでも、からいもの講演をするなど現役を退いてからも、からいも普及に大きく貢献していた。

 その功績を称え後世に伝えるため、2021年8月に、坂井健吉先生記念公園をカラー芋ファクトリー前に建設。同公園完成祝賀会のときも96歳で元気に参加、そのときにNPOの郷原理事長とは、「100歳でまたお祝いをしましょう」と誓い合っていたという。

写真=写真=関係者らが献花

100歳でこの記念公園にまた招待…残念

 坂井氏のご家族の御遺志により四十九日すぎてから関係者へ報告された形となり、今回、献花を捧げた。
この日、「好き過ぎる」というサツマイモを広める仕事をしたいと鹿屋市の地域おこし協力隊に就任、サツマイモ関連のPR活動をしている鳥越佳那さんによる司会で、NPOの吉留良一専務理事が、坂井氏の功績を紹介、郷原理事長が花束を献花し、お別れのことばに続いて「黄金(こがね)なる 芋をつくりし坂井氏を わが故里は永遠(とわ)に忘れず」という献歌を披露し、参加者の献花となった。

 最後に、サツマイモの形をした坂井健吉先生顕彰碑と、坂井氏の略歴碑に、児玉拓隆理事と原田靖理事がそれぞれ芋焼酎を掛け、坂井氏の偉業に感謝、生前の労をねぎらった。

写真=写真=コガネセンガンを使った焼酎を碑にかけ感謝と生前の労ねぎらう

 この日は、受賞の郷原氏のほか、東アジア唐芋友好協会のメンバーが同行しともに受賞を祝い、「コロナも終わり、クルーズ船などの受け入れなど鹿屋市とともに観光事業をさらに取り組んでいきましょう」など中西茂市長から今後の活動にもエールが送られた。

 NPOカラー芋ワールドセンターの郷原理事長は、「天文館からいもワールド5階のからいもサテライトでからいも勉強会をしていたときに、コガネセンガンは誰が生みの親なの…という話題になり、坂井先生に来ていただいて講演をしてもらった。

 そこから毎年、植え付け祭と収穫祭にはきてもらい、東アジア唐芋友好協会の会合、沖縄での大会などにも参加してもらってきました。なんといっても、すごくお元気でパワフルで、芋に関することの記憶はすばらしく、交配採種など何でも教えていただいた。

写真=写真=郷原理事長が献歌

 100歳になられるときに、もう一度この記念公園に招待さしあげようと思っていたが残念です。ただ、記念公園が完成し祝賀会の席に、この地域の加工業者もたくさん集まっていただいて、このコガネセンガンが今になっても役に立っていることに、逆に驚いて喜んでおられた姿が目に浮かびます。

 先日の新聞で、日本の農業が後継者不足でダメになる、食料の輸入も価格が高騰し食糧難の時代が10年後に来る…と、書いてありました。私ども30年前から、食糧危機を救うのはからいもだと、ずっと言い続け活動してきて、レストランをしてお菓子を作って、そして坂井先生や皆さんにもお世話になってきた。

 これからはもっと芋の食べ方、料理の仕方を広めるために「からいもの新しい食べ方を創作しよう。食糧危機にそなえて、唐芋の活用運動」で、その遺志を継いで今後も頑張っていきたい。」など話していた。

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