2025年08月16日 05時16分

《戦争と平和 》

核も戦争もない世界希求~第79回原爆被害者追悼祈念集会

 第79回原爆被害者追悼祈念集会が、2025年8月9日、鹿屋イベント広場付近で開催され、核も戦争もない世界を希求し、黙とうが捧げられた。

 主催は、反物・反核・脱原発・平和運動を進める大隅市民の会(松下徳二会長)

 この日は、集まった参加者で反戦の歌などが歌われ、本地博事務局長が次のあいさつを行った。

写真=本地事務局長が反核、反戦のメッセージ

 8月6日~9日は、広島と長崎に原爆が投下されて、それぞれ80年目を迎えます。
 原子爆弾により多くの命が奪われました。加えて今日を迎えてもなお、その被害に苦しめられている被爆者がいます。

 被爆の遺伝的影響を含め今後いつまで続くのか見通すことができない被害の実態は、長い年月を経てもなお、原爆がいかに「非人道的」な兵器であったかを私たちに知らしめ続けています。

 被爆の実相を原点に「核も戦争もない社会」を実現するために、それぞれが、地域で運動を展開しその思いを共有してきました。

 いまだ核廃絶社会が実現できずにいる現状に忸怩たる思いを抱かざるえません。
 核をめぐる状況は、大変厳しく危機的であると認識せざるを得ません。

 イランに対してイスラエル・アメリカが攻撃している現状は、「核抑止」が空論であることを結果として示しています。

写真=黙とうを捧げる参加者

 2024年ノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体連絡協議会 (日本被団協)が受賞しました。
 被爆者のみなさんが凄惨な体験を、具体的な言葉で語ってこられたことが、国際的に「核の非人道性」を確立させる大きな原動力となってきました。

 日本被団協をはじめとした被爆者のみなさんのこれまでの取り組みに心より敬意を表します。ヒロシマ・ナガサキ以降、今後も守り続けていかなければなりません。

 日本政府は、核兵器禁止条約発効から4年を迎えた今日においても、いまだ署名・批准に前向きな姿勢を示すことがありません。

 アメリカの「核の傘に」に守られている日本が核兵器廃絶を願う国々と原発を含めた核保有国との架け橋役を担うことなど出来るのでは、ないでしようか、被爆国である日本に対する国際社会の関心は、高く、その言動や方向性について注目されていることは、事実です。

 決して核抑止力を前提とした安全保障に拘泥することのない、世界平和の実現に向けた尽力が求められています。

 核の商業利用である原子力発電について、日本政府は、福島第一原発事故以降、その依存させる方針でしたが第7次エネルギー基本計画において、「脱炭素」を理由に再び原発推進政策に舵を切りました。
 
 いまだ福島第一原発事故により避難を強いられていらっしやゃる人たちが2万人を超えているのに、いったいなぜ原発推進なのでしようか。
 
 核燃料サイクルの中心である六ヶ所再処理工場は、完工延期を繰り返し、原発で出した、「核のごみ」その行き先さえも決まっていません。

 地震大国日本では、「地層処分」が適しているとは、思えません。原水禁が訴えてきた「核と人類は、共存できない」という理念は、核兵器だけに留まらず、すべての核絶対否定という明確なものです。

 その理念を実現に向けた日々の運動を今後も継続して残された被爆者問題として最も解決が急がれる「被爆体験者」問題について、いまだ解決が図れていません。

 新たな医療支援始まりましたが、「被爆体験者」は決して被爆者と認めないとする国の姿勢が明らかになったことで、長崎を中心に怒りの声があがり続けています。

 日本政府は直ちに「被曝体験者」は被爆者と認めるべきです。被爆80周年原水爆禁止世界大会は、原水禁運動の積み重ねの中でも節目となる重要な大会となります。

 これまでの80年の月日の中で決して終わることなく被害が続いてきた事実と向き合いながら、世界のヒバクシャと連帯し核も戦争もない世界を希求していきましよう。
 集会に参加されたみなさん心よりお願い申し上げます。

 続いて参加者から、次々とメッセージが伝えられ、原爆が投下された午前11時2分に黙とうが捧げられた。

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