2024年09月08日 07時43分

《戦争と平和 》

風化せぬよう石碑建て、不戦平和を願い

昭和20年9月4日進駐軍高須上陸を語り継ぐ会

 高須遺産発掘(Takasu Heritage Project)、昭和20年9月4日進駐軍高須上陸を語り継ぐ会が、令和6年9月4日、高須町民会館で開催された。

 太平洋戦争も戦後も、鹿屋から始まった…。
 開戦の「真珠湾攻撃」に向けての戦略会議がなされたのが鹿屋の海軍基地であったこと、戦後の「進駐軍上陸」がなされたのは鹿屋の高須海岸であった…という史実。
 戦後間もない、昭和20年9月4日、進駐軍約2500人が高須に上陸した日。

 高須の地域住民で、この日を忘れぬよう不戦平和を願い、上陸の地に記念碑を建て、当時の様子を語り継いできており、79年経ったちょうどこの日も、語り継ぐ会が開催されたもの。

 上原義史町内会長が、プロジェクターを使い昭和20年の進駐軍高須上陸の様子や、2001年(平成13年)に「金浜進駐軍上陸地の碑」が建てられた経緯などをを説明。会場に集まった地域住民が、それぞれの思いで、戦争と平和について語った。

 碑建立期成会の中心メンバーだった、山下巌さんの妻、ハルヨさん(83)が、建立の思いをつづった巌さんの文章を読み上げた。

 また、同じく期成会中心メンバーだった山下修二さんの娘、朝倉直子さん(70)も、「語り継ぐ会がこうしてずっと続いていることは、とてもありがたく父も喜んでいると思います」など話した。

 敗戦時17歳で、女子挺身隊に所属し、上陸直後の米軍に花束を贈る役割を果たした中原敦子さんの娘、武田久美子さんは、高須に「金浜進駐軍上陸地の碑」が建てられたことを知った敦子さんが、私は米軍が上陸したときに花束を贈ったことがある…という旨の話をしたときに、何を言い出したのかと思っていたが、その後写真が出てきて、本当だったことを知り、それまで何も話したことがなかったのでびっくりしたこと。6年前にこの語り継ぐ会で話ができたことは良かった…など語った。

 終戦当時、中学生だった立元良三さん(94)は、戦中の焼夷弾爆撃を受けたことなどの話をした後、当時、海軍専用の貨物駅になり、海軍航空隊と海軍航空廠への引き込み線が8軌道もあって桜花の貨物駅でもあった旧大隅野里駅の惨事について、駅員18人、徴用の朝鮮人70人が爆死。

 その生存者や家族を亡くした人たちの証言を紹介し、戦後80年を迎えるにあたり、私の心残りは、もっと野里駅について情報の収集をし、野里駅惨事の慰霊碑設置を地元の人たちとともに建設出来たらと願っている…など話した。

 また、当時、高須小に校長として赴任した新弘校長のことや、地域のほとんど、特に女性や子供は進駐軍を恐れ山間部に逃げたこと、戦争で大正13年と15年生まれの叔父2人を亡くしたことなど、平和の尊さをそれぞれ語り合っていた。

 旧野里駅の惨事に関する情報や意見をお持ちの方は、立元良三さん、電話0994-47-3078へ。

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