《雑草 》
地域の宝の大きな損失~令和のコメ騒動 地方では…
今、人口減少社会なので江戸時代のことを書いても、響かないのかもしれないが、鹿屋市本町に築103年の岩元邸があり、その裏に新田川が流れている。
これは江戸後期に、当時の島津藩が米の生産高を上げるために、藩を挙げて整備を行い、鹿屋市の新田川は王子町から川東町まで約12㌔、150町の田んぼに水を流すために作られたという。
岩元邸には農地などについての資料も少し残されており、最初はこの新田川の周辺の農家の庄屋さんとしての役割だったと思っていたが、資料には輝北や高山、内之浦、東串良などもあったりで、かなり広範囲で農地や小作等の取りまとめをしてこの地域の分限者どんだったと感心している。

写真=鹿屋市本町の岩元邸裏を流れる新田川
その時代、もっと以前からこの地域、そして日本各地で米作り、農業のための環境が苦労して整備され、その歴史がお米の自給率100%という豊かな食の源流になってきたのでは…と感じている。
先日、場所の違う数人の農家の方々とお話しして、今は32㌔袋の籾で8千円~9千円、ひょっとして1万円になるかも…ということを話されていた。
ここ最近は6千円や7千円だったという。
今、令和のコメ騒動で、ネットやマスコミなどが、いろんな見解を流している。
ただ思うのは、こんな言い方がよいのか分からないが、本当にお米農家と会話を重ねて書いているのか…、しかも東京や都会中心の話で、地方の話とはニュアンスが違うのでは…、地方は都会の理論に合わすのではなく、地域の実情に合った情報がもっと流れ、そこと比べながら考えていくべきなのだろうとも思う。
確かに、備蓄米がタイヨーで白米5㌔1833円で売られたが、さすがにこれがずっと続くとは思っていないし、現実にお米農家の言う米価格は上がっている。
これが流通の過程でどう変わっていくのかということだと思う。
今、備蓄米放出で消費者が安く買え、しかも米穀の転売が政令で規制されたが、今後また、2次問屋~5次問屋があるとも言われている流通に戻るとなると元の木阿弥、令和のコメ騒動も、最後は平成のコメ騒動でタイ米など輸入米を食べてお茶を濁して済ませたという同様なこととなるのだろうか…。
もっと危機感が募るのは、お米を作るための環境
そしてもっと危機感が募るのは、お米を作るための環境。
街の中心部にも流れている新田川、いつもはカラカラの川だが、田植え時期の6月になると水門が開けられ、勢いよく水が流れる。よくこんな形で整備されたものだ、江戸時代は重機もなかったろうに…と思うことだが、まだ平野部はいい。
美味しいお米は、水がいいと言われる。上流の山あいから流れてくる清らかな水、しかも岩清水、岩の割れ目から流れてくる水はとても美味しく、なので中山間地区のお米は、例えば寿司屋と契約しているところもあると聞いた。
4~5年位前だったか、休耕田があったのでこれを使わしてもらえないのかなと聞いたこともあったが、近くの農家が「ここは、転作でしばらく野菜を作るようになったみたいで、もったいねち思どん、もう水路を壊したで米は作いやならんみたい」と言われ、ちょっとショックだったのを覚えている。
先祖代々、苦労して田んぼに水を引くために水路を通し、季節になるとみんなで落ち葉など清掃、上から順番に大切な美味しい水を分け合いながら堰を開け自分の田んぼに引き込み米作りを営々と続けてきた農家が、減反や転作奨励によって、今後コメ騒動が起こっても、もうお米作りができない環境がすでに進んでいる。
人口減少社会だし、時代の流れ…と言われればそうかもしれないが、せめて主食の米だけは…と思う。特に高隈山系、国見山系、稲尾山系の照葉樹の森から流れ込む美味しい水で作られたお米。
このままでは本当に食べられなくなる…地域の宝の大きな損失…。(米永20250615)