《戦争と平和 》
人間国宝の井上萬二さん、平和の尊さ訴える
串良町
旧海軍航空隊串良基地出撃戦戦没者追悼式
旧海軍航空隊串良基地出撃戦戦没者追悼式が、令和5年10月21日、平和記念公園慰霊塔前広場で開催された。
写真=平和記念公園慰霊塔で式典
公園一帯にあった串良基地は太平洋戦争末期に教育航空隊として開隊、1945年3月から特攻隊基地となった。
同基地を飛び立ち、散華された573柱の御霊を慰め、併せて恒久平和の実現を祈念するため実施されたもの。
写真=生存者を代表して人間国宝の井上萬二さんが慰霊のことば
遺族26名、生存者2名、児童・生徒代表約20名や関係者が見守る中、国旗、市旗、旧軍艦旗掲揚、国歌斉唱、海上自衛隊鹿屋航空基地の哨戒ヘリSH60K3機による追悼飛行があり、戦没者に対し黙祷。
写真=第一航空群の大西群司令が追悼のことば
中西茂鹿屋市長により「戦後78年が過ぎ、戦後生まれが大多数となり戦争体験と記憶の風化が進んでいる。鹿屋市では平和の花束など平和教育や平和学習ガイドによる戦争の記憶を後世に伝える取り組みを実施している」など式辞。
写真=海自鹿屋基地の哨戒ヘリSH60K3機による追悼飛行
花牟禮薫鹿屋市議会議長、大西哲海上自衛隊鹿屋航空基地第1航空群司令による追悼のことばがあった。
生存者を代表して、有田焼の陶芸家で国指定重要無形文化財保持者=人間国宝の井上萬二さん(94・佐賀県有田町)と、八幡神忠隊の犬童健太郎さんの甥、鬼塚俊伸さんが遺族を代表して慰霊のことばを述べた。
写真=儀仕隊弔銃
井上さんは15歳で海軍飛行予科練習生に入隊、鹿児島海軍航空隊予科練乙23期生に所属、串良基地に終戦まで約1カ月半配属されたという。終戦後17歳で陶芸の道に進まれ、66歳で白磁で重要無形文化財、人間国宝に指定された。
写真=遺族による献花
出席者、参列者による献花、儀仕隊弔銃。八幡神忠隊の大石政則さんの甥、大石浩隆さん(佐賀県在住)による遺書朗読、同期の桜斉唱、式電披露。
平和の花東2023中学生の部優秀賞受賞の第一鹿屋中学校3年、江口煌一朗さんによる平和へのメッセージ朗読があった。
写真=児童・生徒らによる献花
旧海軍航空隊串良基地では、1969年に当時の串良町などが慰霊塔を建立して以来、毎年追悼式が営まれ、令和元年に台風接近により中止、令和2~3年にはコロナ禍で縮小開催、令和4年に4年ぶり通常開催となっている。