《伝統 》
豊作に感謝し水神に祈願~鉦踊り・銭太鼓王子町内巡行
鉦踊り・銭太鼓町内巡行が、令和6年10月20日、王子町内一円で開催された。
例年実施してきた鉦踊り・銭太鼓の奉納に加え、伝統芸能承継活動の成果を多くの市民に披露するため、町内巡行が行われるもの。
30日の王子町和田井堰での鉦踊り奉納は大人だけだったが、町内巡行の踊り手は小・中学生も参加し40人程度となった。
鉦踊りの歴史は、水神に今年の豊作に感謝し、来年も豊作になりますように鉦を中心に太鼓も加わり激しく打ち鳴らし、水神に感謝と祈願の踊り。大隅地区の水田でほとんど踊られていたが、最近はほとんど途絶えてしまった。
王子町の和田井堰は1753年に王子・曽田・白崎・新川・川東の5地区の不毛の160ヘクタールの水田に12キロメートルの用水路を引いて開田した。
昭和51年6月の豪雨で肝属川が氾濫し、700メートル上流に移築されて新和田井堰ができた。
開田当初から旧暦8月の水神祭りに手踊りの「水神踊り」は踊られて来た。下高隈町の谷田集落が初めて鉦踊りを取り入れ、明治36年頃串良町立小野集落から師匠を2人招き、踊るようになり広まった。その後、次第に手踊りの「八月踊り」はし衰退し、現在は鉦踊りだけが伝承している。
鹿屋市誌によると、『明治初期になると水神祭りに勇壮な「烏踊り」が加わり、若者がたくましい動きで踊っていた。しかし、昭和12年以降に途絶えてしまった。
昭和41年頃に復活の話しが持ち上がり瀬貫伊吉が保存会長になり、歌詞を覚えていた井上猪熊、及び牧窪盛吉の3人が中心になって、昭和43年9月12日下祓川公民館で開催の「百歳会」で婦人らによって復活した。当時は鉦の代わりに台所のフライパンを手製の木槌で叩き、鉢巻に襷掛けして裾をはしょり、勇ましい格好で踊った。その後途絶えたが、現在は復活して、男性が勇壮に踊っている。』とある。
一行は、王子町内会の各事業所などで踊りを披露、周辺住民からはたくさんのお花が寄せられた。また中山亭駐車場などでは銭太鼓も披露され、盛んな拍手を受けていた。