《おおすみ雑記 》
伝統ある十五夜相撲、昔のような活気取り戻せないか…
花岡地区では脈々と続けられ…
今、パリオリンピックで日本選手が活躍、大隅半島にゆかりのある杉野選手も金メダルを手にし、話題になっている。
身近なところでは、この暑さの中で各地で夏祭りが催され、踊りや花火などで盛り上がっている。
ただ、祭りも年々規模が縮小したり、寂しくなってきた。寂しくなっているというのは、規模とかもだが祭りがイベントになってきているということもある。
その地域の人たちが楽しむ祭りなので、そこで盛り上がって観ていても楽しいが、その土地で長年引き継がれその季節ごとに行われてきた伝統的なお祭りが、少しずつ廃れてきて、代わりにステージや花火にとって代わってきているような気がする。
先日は、「そういえば昔は、小学校の校庭や公民館にも土俵があって、十五夜相撲が町内会、校区ごとに開催され、楽しかった思い出がある」という話になった。
小さい頃は、この十五夜相撲、全国で行われていると思ったら、主に鹿児島や沖縄、南九州の伝統、風習らしい。長野県の諏訪大社でも、上社十五夜祭奉納相撲というのがあるという。
今、ゆとりの教育とか、一時期は「競争のない運動会~順位をつけない教育改革の波紋~」とか言われたりして、そうしたこと自体に批判の声もあるし、そうしたことが原因ではないのかもしれないが、いつのまにか十五夜相撲が無くなっている。子供たちが少なくなったというのもあるが…。
話の中で、夏祭りのイベントもだが、十五夜相撲こそ、地域の伝統行事としてとして残すべき、復活すべきでは…という声も。
私も調子に乗って、小学校の頃から新聞配達の手伝いをしていた。鹿屋小の近くに住んでいて、当時の鹿屋小の放課後グラウンドは、野球少年専用と言っていいほど走り回っていたし、中学野球部のへとへとの練習のあとにも、自転車で遠いところばかり配達させられた。それで足腰が鍛えられ、「体は小さいけど相撲はそれなりに勝ち抜いていた」などの自慢話?もした。
考えてみれば10数年前、大隅半島の古代の歴史を研究し出したころ、十五夜綱引き、十五夜相撲が、古事記、日本書紀の月読命(ツクヨミノミコト・天照大御神の弟神で、月を神格化した、夜を統べる神)と関係があり、串良の月読神社に行ってみたら、神社横には土俵もあって(そのころもほとんど使われてない)なるほど…と感心したこともある。
さらに月読神社を調べ、桜島のフェリー乗り場近くにもあって参拝したが、薩摩半島には月読神社はなく、全国にもそこまで多くない。それが串良にあって、また、京都市京田辺市の月読神社では、今でも隼人舞が舞われており、大隅半島からの勧請であるということを聞いて、何か因縁を感じた。
しかも、日本書紀には、天武天皇11(682)年、大隅隼人と阿多隼人が朝廷で相撲を取り、大隅隼人が勝ったという記述もあり、古来から隼人族の習わしとして相撲をとっていたのだろう。
考えてみると、海の民である大隅隼人族にとってのルーツとも言える肝属川河口近くで昔から柏原大相撲が行われていて、近くには戸柱神社、神武天皇御発航伝説地の碑もあり、古事記や日本書紀の南九州の神話と相撲の関係が繋がるようで、この大隅半島にはそうした歴史が息づいていると勝手に思い入っている。
話がちょっと脇道に逸れた感もある。ただ、祭りの名を借りたイベント、今の若い人には受けるからということもあるのかもしれないが、鹿児島、南九州の古来からの風習としての十五夜相撲。
笠之原で続けられている綱引きとともに、花岡ではカヤで編んだ綱を地域で引き回し、綱引きをして相撲もとっている。そうした伝統文化が息づいている。
今のこうした時代だからこそ、南九州ならではの風習や伝統文化、そして古代からの物語をこの地域で隼人族も含め発信、やり方によっては、全国や海外からも少しは注目されることにならないか。
夏祭りが過ぎたら今度は十五夜相撲。旧暦8月15日、今年の十五夜は9月17日(火)という。
花岡だけでなく、他の町内会とかで続けられているところがあり私が知らないだけかもしれないが、どこかの町内会や校区でまだまだ復活して欲しいし若い世代も関わってもらいたいと願う。子供が少なければ大人の余興としても…。言うには易く大変だとは思うが…。
と言いつつ、8月に入って各地で夏祭りが目白押し、暑気払いし地域の中で存分に楽しんでもらいたい。(米永20240731)