《雑草 》
農家と消費者をともに考えたお米の適正価格は…
令和のコメ騒動、備蓄米放出が済んだあとの米価格はどうなるのだろう。
消費者のためには5㌔2000円という価格であってほしい、逆に生産者のためには3000円や4000円以上でないとやっていけないのか。
現実は、米問屋あるいはJAに売り渡されてから、2次問屋、3次問屋、…に経由され小売店に卸されているとすると、消費者が払ったお金の多くあるいは一部が生産者に渡っていないという仕組みが出来上がっていて、それぞれの思惑に大きな乖離があるということになる。
消費者は、生産者からするとかなり高い値段で買わされているということか。
加えて1970年から進められてきた減反政策で、お米を作ることを制限してきて、それが制度として現状と合わなくなってからも続けられてきた。
そして廃止されても、違った形で補助金が出され制度が残るような形となり、農家はますます弱体化していった。
そこでは、農家でなく、別なものを守るシステム、先の生産者から消費者に届く間で生まれるものが、組織的に農業を歪めてきたということなのか。

今回のことでのいろいろな報道では、農水省や農林族の思惑や、政党間の駆け引き等も含め、参院選も絡めて論じられ、焦点が純粋に農業からかけ離れ、ずれているようにも見られるものもある。
たしかにそういう政治的側面があるからこそのことなのだろうが、今、論じるべきは、農業政策そのものだと思う。
そこにしっかりメスを入れていかないと、消費者は、汗水たらして美味しいお米を作ってもらう農家のために少々高い値段でお米を買ったとしても、持続可能な農家のために、というところには、その思いは届かない…ということになる。
そうした減反政策の失敗で、米の需給バランスがかなり悪くなっているようなので、備蓄米放出が済んでしばらくは米の価格は思ったような形では動かないのかもしれない。何か新たな対策が必要なのか。
減反という制度の延長、飼料米や転作に対する補助金で予算を使うのでなく、そうしたお金があるのなら、需給バランスがとれるまでしばらくは、農家に対する直接補償のようなスタイルが求められるのか。
私たちも、もっと声を大きくしてメッセージを出していくべきか
さらには、流通においても、今回のように量販店を中心に随契をしていくという形がいいのかはもっと議論を高めるにして、第5次問屋まであるということが本当であるなら、そこを省いた形での、農家と消費者をともに考えた適正価格が求められ、それを政府がしっかり決め込んでいくことも求められるのだろう。
この物価高という中で、これまで当たり前のようにあった制度が、特に生活をする側、消費者の側から見ておかしいと思うこと、今回のような大きなことだけでなく、身の回りの小さなことに対しても、私たちにも、もっと声を大きくしてメッセージを出していくことが、求められていると思う。
その奥底には、食料自給率が38%ということも考え、こうしたコメ騒動のように、システムが現実に合わなくなり、最終的には国民にしわ寄せがくるようなことが、別な作物でもあるとしたら、食料品等の値上げ、物価高、建設資材等の高騰などが続く中で、とても脆弱な食の安全保障ということになる。
これを輸入米で補うということも言われているが、主食の米だけは…という思いは強い。
今、巷で報道されている令和のコメ騒動は、消費者の立場からは、どちらかというと都会目線、都会での動きを中心としたもので、周りに農家の多いこの地域や地方を考えると、ちょっと違うのではと感じることもある。
後継者不足や耕作放棄地が問われる中で、地方に住む私たちにとって、地方なりの利点や課題があると思う。
そうしたこともまたつらつら書いていきたい。(米永20250604)