《雑草(コラム) 》
昭和100年戦後80年の年に 私の中で記憶を蘇らせたもの
今年は戦後80年、昭和100年、各地でいろんなイベントが行われている。
少し私ごとの話でもあり恐縮だが、戦後50年の頃、それ以降も本紙でもいろいろ発信していたこともあり、その後、新人物往来社の戦記シリーズで鹿屋に取材に来られた担当者が訪ねてこられ、いろいろ戦跡を案内した。
それが25年前の2000年11月12日発行、別冊歴史読本「海軍航空隊とカミカゼ」で、鹿屋のことが記事として紹介された。
その冊子が送られてきて、大事にしていたつもりだったが、たぶんだが、どなたかにお貸ししてそのまま返ってこず、その後、鹿屋にまつわる雑誌など古本屋なども見て廻ったりしたが、見つからず仕舞いだった。

戦後70年、80年と経ち、記憶の中で薄れてきていたが、先月東京で飲食店を経営している同級生が帰省、芸能人とかも訪れる店ということだが、前回、帰省した時に、鹿屋の歴史の話になり、最近、戦跡として文化財に指定された地下通信室などに行ったことがないという。
東京で訪れるお客、有名人にもっと鹿屋のことを知ってもらうべきだ。お客に鹿屋の特攻のことや太平洋戦争が鹿屋で始まり鹿屋で平和裏に終わったという歴史をもっと伝えて欲しい…と、同級生5人で鹿屋市の戦跡ツアーを行った。
そのときに、私の名前が載った戦記物シリーズ雑誌を持っている同級生がいる…という話になり、ツアーの途中で、その家に寄って本を確認、おそらく20年ぶりくらいにその雑誌を手にし、改めて鹿屋の歴史や平和の尊さを確認した。

案内したその時の記憶は薄れかかっていたが、第5航空隊司令部や祓川のゼロ戦を格納していた防空壕、野里の特攻隊員との秘話があるお宅へお伺いした記憶があったが、それが蘇ってきた。
ただ、その時に自由には入れた第5航空隊司令部入口には柵がされ、祓川のゼロ戦を格納していた防空壕は埋められ、野里の特攻隊員との秘話を話していただいた八代氏も25年前のことなので、お元気でいらっしゃるかは分からない。
戦後80年となり、そうした戦跡が無くなり、語り部がいらっしゃらなくなる中で、私たちの世代、そしてもっと若い世代で、語り継ぐべきことがまだまだたくさんあるような気がしている。

写真=桜まんじゅうの試作
そうした意味でも、この10月21日(火)~31日(金)10:00~17:00まで、過去を見つめ、未来を描く「昭和100年戦後80年かのや展」が、イオンかのやショッピングセンターで開催される。
ぜひ、お立ち寄りいただきたい。
また、その催しで展示される次のイベントについてFMかのやで放送される。
10/8(水)8:50〜「鹿屋市の発展に貢献した先人」
10/15(水)8:50〜「桜まんじゅう」
10/22(水)8:50〜「昭和の遊び」について
ぜひ、聴いていただきたい。(20251006米永)


昭和100年戦後80年かのや展 紹介ページ