《地域づくり 》
山幸彦ほか祀る由緒ある高屋神社を地域できれいに!
肝付町内之浦地区の高屋神社の清掃ボランティアが、令和7年10月5日(日)、朝早くから行われ、20人を超える親子連れなど地域住民が集まり、草取りなど汗を流していた。
高屋神社の御祭神は、彦火火出見尊と豊玉姫など。
国見岳山頂にあった高屋山上陵が参拝に不便であるため、第12代景行天皇が麓に分霊して創建したとされている。


その高屋山上陵は、初代神武天皇の祖父である彦火火出見尊、神話の物語では山幸彦の陵であり、江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』では内之浦の北方村国見岳がその所在地とされていた神代三山陵の一つ。
神代三山陵とは、初代神武天皇から3代前にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀る可愛山陵、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト・山幸彦)を祀る高屋山上陵、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を祀る吾平山上陵の神代三代を葬る陵。


高屋山上陵の里宮としての高屋神社は、1505年の火災で社宝等が焼失したが、同年6月、肝付兼久が再建。1717年には正一位の宣命。
さらに1763年焼失し、1765年再建。
1795年には、白尾国柱が『麑藩名勝考』で山頂を彦火火出見尊の陵墓だと推定。
1853年、島津斉彬が参拝。
高屋山上陵が溝辺に移された2年前の明治5年6月には、明治天皇が西郷隆盛などを従えて鹿児島に巡幸した際、皇祖が眠る鹿児島の三山陵を鶴丸城(現在の黎明館)から遥拝。
勅使が派遣され、高屋神社に10円金貨を奉納している。
昭和40年代までは、同神社参道で流鏑馬も開催されていた。
このように地元民だけでなく、肝付氏や島津氏、皇族も篤く祀ってきた神社とされている。


今回の清掃は、内之浦の中村真理子さんらが呼び掛けて先月から始めており、10月25日(土)は例祭が行われることもあってきれいになった。
また、11月9日(日)、12月は7日(日)にボランティア清掃を行う予定となっている。
中村さんは「とても由緒正しい神社と知り、最近は整備が行き届いていないところもあり、みんなに呼びかけて先月からスタートしました。
国見山頂の高屋山上陵も含め、地元でもその歴史をもっと勉強しながら、きれいにしていきたい」など話していた。
10月25日(土)の例祭は午前10時から始まり、皆さんもぜひ参加していください…と呼び掛けている。

